クリスマスはこうして「日本化」していった 〜明治末の脱キリスト

【連載】クリスマスと日本人(12)
堀井 憲一郎 プロフィール

われわれは何も変わっていない

翌年1911年は明治最後のクリスマスとなる。

「キリスト教信者ならぬ者も、クリスマスといえば何となく心忙しく、いまや歳末を彩る年中行事のひとつとなったことこそ、真に面白い」とまた記されている。

繰り返しこう書かれるのは、確認をしないと落ち着かない、ということである。

日本人は、キリスト教を年中行事にしっかりと取り入れていながら、常に軽い違和感を抱いている。だから、毎年、同じことを書く。

違和感は、明治の末年からあり、21世紀になっても、ずっと同じである。この微妙な距離が、クリスマスを常にロマンチックに感じてしまう根拠であり、仕上げかた次第で常に新しい商売のネタになるもとになっている。

1911年も帝国ホテルのクリスマス会についての記事がある。

この年の余興は「勢獅子、玄冶店、娘手踊り、少年剣舞、落語、講談、西洋踊り」である。

落語や講談まで出てきてしまった。

狂言は昨年が「お半長」で今年が玄冶店、つまり「お富与三郎(切られ与三)」である。キリスト様も降誕もまったく関係なく、いま人気のあるもの、が演じられている。帝国ホテルの脱キリストのクリスマスは続いていく。

 

26日付けの恒例「クリスマス廻り」では、力行会の嶋貫牧師が「敢えて儀式ばらずに、お国風の村の氏神祭りふうに子供を楽しませるつもり」というクリスマスが開かれた。帰りぎわに渡されるお楽しみのお土産の中身は「瓦煎餅七枚、最中三つ、マシマロー十個」。

やはりクリスマスといえど、煎餅と最中が基本にある。明治44年のマシマロー10個というのは、すごいご馳走だったとおもう。それ、火鉢の火で炙るととても旨いよ、と教えて上げたいが、教える手立てがわからない。

この年のクリスマス記事も3日にわたり、多いときは三段ぶんを占拠して、大きく紹介されている。明治末年には、泥臭い日本風景のなかに、少し異彩を放つ異教的要素のある年中行事として、クリスマスが取り入れられていた経過がわかる。

また「門徒信者の耶蘇詣」という記事がある。単に、教会でのクリスマス行事の紹介であるが、おそらく趣向であろう「わしは西派の門徒(浄土真宗西本願寺派の信徒)で、耶蘇ときたら、塩辛と長虫ほどに嫌いぢゃが」と断って(長虫はヘビのこと)神田の教会のクリスマスのさま記事にしている。おもしろくないので途中で帰った、と記してはいるが、かなり詳細にクリスマス祝祭次第を記している。

あらためて「宗教としてのキリスト教は認めないが」と明記されているところに、当時の(そしていまも続く)日本人の心情がきちんと書かれているようにおもう。

落語のような口調ではあるが、「その教えは信じないが、イベントとしてのクリスマスというのは一度みておきたい」という当時の一般人の心持ちを巧みに拾い上げている。

また、この1911年12月25日付けには、すでに「キリスト生誕は12月25日ではないという」(この稿でも冒頭に記した基本的なクリスマス事項)について書かれている。

「昔のクリスマス

歳暮贈答の習慣、学校の休暇等と旨く合致して信者たると不信者たるとを問わず今や基督降誕祭は我国一部の年中行事となった、毎年十二月二十五日を基督の生誕日として所在の教会では其祝祭を行うのであるが、これは敢えて史実に拠った訳ではなく、時あたかも冬至の節なるを以て一陽来復の兆しとしてこれを救世主の出現に絡んだのだと言う説もある。所謂クリスマス・ツリーなる常盤樹を飾るは近世の習慣で昔は穭前(ろぜん)に丸太を横たえ其の周囲で祝福嬉戯したものである」

明治の末年には、いまに変わらぬクリスマス騒ぎがあり、いまと変わらぬクリスマス論議が盛んであったことがわかる。

110年を越えて、われわれは何も変わっていない。それはここがずっと日本だからだ。

(第13回「キリスト教を絶対体内に取り込まない日本」はこちら

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