クリスマスはこうして「日本化」していった 〜明治末の脱キリスト

【連載】クリスマスと日本人(12)
堀井 憲一郎 プロフィール

もうひとつ、日本的クリスマス風景として、本郷の春木町の中央会堂での様子も紹介されている(12月25日付け)。

子供の唱歌や説教などがあったあとに「琴と三味線の合奏」があり、「曲は「形見の鷹の羽」と云ふので広瀬中佐を歌ったもの」「声を張り上げて『軍(いくさ)の神や武夫(もののふ)の生ける亀鑑と仰がれて』と唄って来ると満場、水を打ったように鳴りを鎮めて謹聴する」との描写がある。

広瀬中佐は、日露戦争旅順口閉鎖作戦のおりに戦死した英雄であり、軍神と讃えられ、もちろんこの当時の日本人として知らぬ者はいなかった。

それにしても、キリスト教教会内での琴と三味線に加えて、軍神広瀬中佐、である。いまとなればやたらと違和感があるのだが、当時はそこにさほどの不思議さを抱いてる様子はない。朝日新聞記者の筆致も珍しい光景として紹介はしているが、違和感を抱いているわけではなさそうだ。

この、軍神広瀬中佐の歌は、軍歌ではなく、当時は唱歌として子供がつねに歌うものであった。子供のための空間ということで、この歌が熱唱された模様である。

教会で軍歌!?

これより少し前になるが、似たような風景描写がある。

雑誌「文芸倶楽部」明治30年に掲載された柳川春葉の小説である。

短編というよりもっと短い掌編を集めた「一花一輪」という作品のなかに「基督祭」という小説がある。明治30年は1897年なので、日清戦争に勝ったあとで、日露戦争より以前となる。

「十二月二十五日の夜は楽しき基督祭なり」

「美しき画札と、菓子の袋を得むとて群衆(むれつき)ひたる乞食の児」たちが教会のまわりにたむろしている。

堂内では、祝辞に演説があり、そのあとキリスト生誕までの世界を、つまり旧約聖書に書かれている内容を順に話し始めている。話が長く、飽いた子たちが騒ぎだし、それをおとなたちが静めたころ「折から門の外に集れる乞食の児は、何を感じけむ一斉に声を合わせて「四百四州を挙る(こぞる)」と軍歌を高く謡出せり(うたいいだせり)」となった。

当時大流行していた「元寇」という軍歌である。(歌い出しの一説を書けば、当時の日本人は誰でも知っていた、ということである)

それを聞いていた堂内の子たちも顔を見合わせていたが、やがて一人、二人、外の声に合わせて歌い始め、やがてはベンチを叩き、床を踏みならしての大合唱となった。

 

「中央なる大人の群れも、左側なる婦人の集も、みな呆れ返りて眺むるのみ」と描写されている。

「元寇」は、明るいメジャー調の歌である。子供たちが、楽しげに、そして恐らく自慢気に歌っているさまがおもいうかぶ。

教会と軍歌もしくは軍神の唱歌。

この日清・日露の戦いの時代、日本人はこのとりあわせに、さほど違和感を感じていなかったようである。あらたに日本に取り入れられたクリスマスという行事と、日本が世界に押し出していく気分とは、どこか親和性があったのだろう。

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