クリスマスはこうして「日本化」していった 〜明治末の脱キリスト

【連載】クリスマスと日本人(12)
堀井 憲一郎 プロフィール

ほぼ寄席演芸そのもの

1910年の紙面には、帝国ホテルのクリスマスの様子がレポートされている。

「●降誕祭廻り(其一)▽昨夜の帝国ホテル「某(それがし)は耶蘇の霊ぢゃ、これまではヨーロッパ(欧羅巴)やアメリカ(亜米利加)ばかりを廻っていたから今年は少し目先の変わった処ととおもってはるばる日本三界までやってきたぢゃ。東京へ着いてまづ銀座通を見物したがなかなか見事な店飾りちょっとのあいだに日本も能う高襟(ハイカラ)になったものぢゃ」

との文章で始まっている。キリストの霊が語る日本のクリスマスである。どこから突っ込んでいいのかわからないくらいにふざけている、と言える。東京朝日新聞が、である。(ハイカラを高襟と書くところにはえもいわれぬ味わいがあるが)

 

帝国ホテルで、クリスマスパーティと呼ぶほどのものではない〝クリスマスお楽しみ会、というようなものが催されている。ここにはキリスト教の要素はまったく入っていない。

その後の日本ではおなじみの〝いったい何のために騒いでいるのかわからないクリスマス祭り〟のほぼ原初的な姿がここにあらわれている。

帝国ホテルは、1890年に創業され、外国人支配人が続いていたが、1909年より日本人支配人の林愛作が就任し、いくつもの新しいイベントを始めた。このクリスマス会もそのひとつのようである。

(ただ、「帝国ホテルの120年」という帝国ホテル自身が出している書物には、このイベントは記載されていない。「社交イベントとして、帝国ホテルでクリスマスパーティが開催されたのは1913年12月のクリスマスイブである」と記されている。)

この1910年の帝国ホテルのクリスマスは、ほぼ、日本の祭りである。

玄関番(ドアボーイ変わりのようである)がサンタクロースの格好をして入口に立っている。これが本場の欧米に負けぬ姿だと、耶蘇の霊は語っている。広間のまん中にクリスマスツリーが設えられ、〝大倉のお大尽〟(大倉喜八郎)が「クリスマスおめでとう」と挨拶をしている姿が紹介され(日ごろ金儲けに暇のない人が暢気そうに挨拶している、という皮肉の紹介であるが)、そのあと舞台でおこなわれている余興の内容が書かれている。

「丸一太神楽という茶番狂言」「股から異人の首が生えて逆さ踊りのかっぽれ」「ホテル員連の手前芸で、お半長右衛門」「二人袴」

クリスマス会で演じられているのが、太神楽にカッポレ、お半長に二人袴だ。ほぼ寄席演芸そのものである。そういえば明治30年は東京も上方でも寄席が大人気だった時代である。

太神楽は演芸のおおもとのような存在であるし、カッポレもお馴染みの踊り(21世紀のいまでも寄席でよく見ます)二人袴はひとつの袴を持ち廻りにするお笑い芸である。(ひょっとして二人羽織のことかもしれないが、それはそれでまた別の寄席芸である。)

お半長右衛門は、略してお半長と呼ばれる浄瑠璃の演目である。当時の日本人には、知らない人はいないと言っていい演題であろう。上方落語には「動乱の幸助」という噺があり、この「お半長」を知らないという堅物の商売人が出てきて、とても珍しがられる。「お半長って、そんなんこんな小さな子供でも知ってまっせ」というセリフがある。

ただ、内容は心中もの、である。

14のお半と、40近くの長右衛門が、京都の桂川で心中する。

その狂言を、クリスマスで披露しているわけである。もっともキリスト教世界と遠いところにある演目だとおもわれるが(帝国ホテルともあまり合っているとはおもえない)、明治40年代の日本人は気にしていない。

新聞記事によると、堅苦しいアーメンなどはひとこともなく、余興がお仕舞いになってからは食堂で茶のご馳走と、福引きがあった、となっている。

まさに日本化したクリスマスである。

おそらくそういう気分が(クリスマスはキリストと関係なく騒いでいい日であるという気分)がいろんなところで横溢としていたのだろう。それが帝国ホテルで顕在化し、朝日新聞で詳しく報道された。

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/