日本の「クリスマス馬鹿騒ぎ」の起源は日露戦争の勝利だった!?

【連載】クリスマスと日本人(11)
堀井 憲一郎 プロフィール

そして日本の年中行事になった

日露戦争にかろうじて勝ったのは1905年である。

1905年の紙面は、そこまではしゃいでいない。講和が結ばれたのが1905年の秋であり、その講和条件に不満を持った日本人たちが日比谷を中心に暴動を起こしたのが9月である。年の暮れとなっても、まったく世情平穏というわけではなかったのだろう。

1905年クリスマスの広告には日本軍兵士のイラストが使われている(森永のお菓子の広告)。三人の日本軍兵士がお菓子を楽しそうに食べている。当時の気分がきちんとあらわれている。

戦争がやっと終わった、兵隊さんありがとう、という気分、まだ戦時体制から抜けだしていないという気分。

1906年になって、戦勝国としての日本が動きだす。

それまで大きくのしかかっていた「西洋文化コンプレックス」が軽減され、クリスマスを日本ふうに組み替えて取り入れていった。

クリスマスの発祥は西洋的宗教の根幹につながる部分であるが、そこは基本、無視する。祭りとして、その破壊的要素に着目し、日本的な祭礼と同じような日とする。そう決めた。

見方を変えれば、日本に古来からとてもたくさんいる神、その八百万の神の中に、この異教の神を取り込んだ、ということもできる。

 

キリスト教側からすれば(一神教なのだから)八百万の神の一柱となるなぞ、とんでもない話だろう。しかし、多神教というのはそのあたり融通無碍で、そのへんを包括的に呑み込んでしまうところが、アジア的な気分である。

キリスト教の神さまも何となく日本の神様と共存していればいい、という勝手な解釈であり気分であり、言葉にはしていないが、クリスマスや、キリスト教会での結婚式周辺に漂う日本人の心情は、そういったものだとおもう。

宗教としてキリスト教を受け入れるわけにはいかないが(一神教だから、受け入れるなら他の神も仏もすべて排除しなければならない)しかし敵対するつもりもない。一部を勝手に取り入れればいい。ぱっと見たところ、クリスマスが突出して取り入れやすかったので、日本の年中行事に取り入れてみました。以後、よろしく。ということである。

クリスマスは、キリスト教行事のなかで、目立って祝祭的(破壊的)なのである。

そのあたりの機微は新聞記事の端々にも出てくる。次回、当時の新聞記事を読んでいく。

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