日本の「クリスマス馬鹿騒ぎ」の起源は日露戦争の勝利だった!?

【連載】クリスマスと日本人(11)
堀井 憲一郎 プロフィール

はしゃぎ始めたのは1906年

日清、日露の戦いを経て、日本社会は急激に変容していく。

新聞を追っていくと、そのことがひしひしとわかる。

そもそも新聞じたいが、戦争報道で劇的に変化する。日露戦争報道を通じて、新聞はメディアとしての重要性を増していった。写真報道が始まり、紙面が分厚くなっていった。

とくに目立つのが新聞広告である。

 

日露戦後、新聞広告が飛躍的に増えていく。朝日新聞は第一面を広告だけにしていたこともあった。

奇妙なイラストが用いられている広告も多く、それがとても現代的で、目を引く。

東京朝日新聞の12月1日から31日までの紙面を、その創刊(1888年)以来目を通しているのであるが、「クリスマス」の文字が入った広告を見つけられたのは1903年からである。

1903年(明治36)。

ひとつは「新橋の亀屋鶴五郎」。ここはクリスマス装飾でも有名であった。もうひとつは「東洋製菓」の「ビスケット、ドロップス、クリスマス及歳末年首の御進物用に好適当」というものである。

これ以降、毎年「クリスマス」の文字が入った広告が掲載され、それは百年を越えて、現在まで続いている。

1904年には3社で6本、1905年は3社3本。

1906年になって3社で7本となる。

1906年の広告から「サンタクロース」が登場する。

紙面を見ていると、この1906年の広告から、わかりやすく変わる。

言うなれば、1906年から、クリスマス広告は「はしゃぎ」始める。どうやらこの年に、クリスマスは「はしゃいでもいい日」として、日本人に認められようである。

日本のクリスマスの区切りは1906年にある。キリスト教と関係のない日本的なクリスマスが本格的に始まった年である。

日露戦争勝利と日本人の自意識

1906年以降、クリスマスは〝羽目をはずしていい日〟として日本に定着していく。

もちろん1905年以前にもそういう空気はあったのだろう。ただ、画期を見つけるとすると、この1906年になる。明治でいえば39年。クリスマスは「西洋気分にひたる日であり、羽目をはずしてもいい日」となった。

原因はあきらかである。

ロシアに戦争で勝ったから。

それまでは西洋列強にいいように振り回される三等国であったニッポンが、キリスト教列強国トップグループの大国ロシアに勝った。

その解放感と嬉しさに社会が満ちあふれている。その気分が紙面を通して、強く伝わってくる。

1905年10月、東京。バルチック艦隊を破った提督・東郷平八郎らを乗せた路面電車〔PHOTO〕gettyimages

百年を越えて見てみると、「日本は世界の三等国ではなくなった」という、そういう否定的表現であらわされる意識にとどめておけばよかったのに、とおもってしまう。

そこにとどまらず、自己肥大化して「日本は世界の一等国になった」とおもったところに、のちの困難と悲劇がすべて集約されているように感じるのだが、いやしかし、おいそれと止められるものではない、とおもうしかない。