ついにバラエティ復帰する古舘伊知郎の「覚悟と勝算」

挑むは各局しのぎを削る激戦区
てれびのスキマ

12年間という、壮大な前振り

「F1ブームもプロレスブームも、要は古舘ブームだった」

古舘に強く影響を受けたという上田晋也がそう語るように、プロレス、F1、『筋肉番付』、『SASUKE』、世界陸上、世界水泳と、次々と実況でブームを引き起こした。

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だが、古舘はその場所にとどまることはなかった。

古舘伊知郎の座右の銘は「成長したいなら必殺技を捨てろ」(※水道橋博士:著『藝人春秋』)だという。その言葉通り、古舘はそれらの地位を捨て、2003年に『報道ステーション』のキャスターとなったのだ。

その4年前の1999年、現状に満足することがない古舘は、石橋貴明とのトーク番組『第4学区』で二つの具体的な夢を語っている。ひとつはマイク一本のトークライブを武道館のような大きな会場でやりたいというその頃の活動の場を追求したもの。だが、二つ目はまったく違うジャンルのものだった。

「二つ目はね、テレビで、カストロとかカダフィとか金正日とかに徹底的なロングインタビューやって、クリントン来たときに筑紫哲也さんが、すごく見事にインタビューしたような感じじゃなくて、もっと過激に切り込みながら、『撃ちてしやまん』の精神でインタビュー界の人間魚雷みたいになって、どうなんだと、あなたはここがおかしいとか、ここがすごいとか、そういうインタビューを放送すると。そういう二つのことをやりたいね」(※『第4学区』)

この頃にはもう「報道」の分野に過激に乗り込みたいという野望を既に口にしていたのだ。

古舘はさらに「お里が知れる」という言葉が好きだと続けている。通常この言葉は悪い意味で使われるものだ。だが、古舘は「いいこと」だと言う。

 

「お里」つまり、自分の好きなものや得意なものがある。そのうえで、自分の不得手なものを勉強して自分のものにしていくと、これまで自分がインプットしてきた「お里」と、新たにインプットされたものが融合される。

「そうなったときに、人間快感を覚えるじゃない。自分が新たに勉強したものが自分の得意技と融合するんだから。だから、古きをたずねて新しきを知る。温故知新とはよく言ったもんで、昔の自分と新たな自分が出会ってびっくりして対面するんだよ。そうなったときにものすごく大きくなるんだよ」(※『第4学区』)

新しいものと融合したときにこそ、「お里」が知れ、それが輝きを増していくのだ。

古舘は決して自分の思い通りにいかない「報道」の現場に苦しみながらも、キャスターを約12年務め上げた。

『報道ステーション』最後の出演時の挨拶で「つるんつるんの無難な言葉で固めた番組などちっとも面白くありません」と語った古舘。キャスター時代の苦悩や葛藤は古舘に深みのある凸凹を刻み、古舘の「お里」と出会い融合したに違いない。

12年間という壮大な前振りは効きまくっている。彼がバラエティに戻ってきたことでその風景が大きく変わっていくだろう。

古舘は「死んでまた再生します」とも語った。

古舘伊知郎がいよいよ自分自身の“実況”を始めたのだ。