「出戻り」新井貴浩、屈辱と意地の物語 〜裏切り者の烙印を押されて

恩返しはまだ終わっていない
週刊現代 プロフィール

「スタンドから飛ぶヤジ、手厳しい報道。阪神をとりまく雰囲気は、12球団の中でも異様。精神力が強靭な金本でさえ、重圧に悩んでいた。自身が苦しんだからこそ、『お前のメンタルじゃ、阪神でやっていくのは無理や』と、新井の移籍に反対していた」(スポーツ紙記者)

金本の予想は的中する。

移籍した'08年は当初こそ、金本との3番、4番コンビで首位快走の原動力となったが、夏に出場した北京オリンピックで腰の状態が悪化、腰椎の疲労骨折と判明し後半戦を棒に振る。

新井の離脱が響いたチームも巨人に最大13ゲーム差を逆転され、クライマックスシリーズ(CS)でも第一ステージで敗退。その後のシーズンは20本塁打をクリアすることさえできず、'05年の本塁打王として期待された成績を収められない時期が続いた。

阪神の監督として新井を獲得した岡田彰布氏が言う。

「本人はもっと引っ張ってホームランを打ちたいという気持ちはあったはずだけど、広い甲子園で勝つために、アイツは文句も言わずチームバッティングに徹していた。そういう男なんです」

だが、ファンの間に定着してしまった「新井は肝心なところで打てない」というイメージを払拭するのは難しかった。

「'11年には打点王も獲得しているし、いま振り返れば、決してひどい成績ではありません。それでも、屈辱的なヤジを浴びせられ続け、あれだけ明るい男が、顔を合わせるといつも落ち込んでいました」(前出・駒沢氏)

そして、'14年のシーズン、新井に見切りを付けた阪神が主砲として獲得したゴメスが打点王を獲得。鬼門だったCSでも巨人に4連勝し日本シリーズ出場を果たした。だが、控えに回り、活躍の場面がなかった新井は、蚊帳の外にいた。

 

崖っぷちで抱いた決意

慕っていた金本も'12年にすでに引退し、新井が阪神にいる意味はもはやなかった。もう一度レギュラーとして戦える場所を求めた新井は'14年のオフ、自ら自由契約を申し出て、了承される。

この時、37歳。新井の復活は厳しいと誰もが思っていたなか、獲得に名乗りを挙げたのが、他ならぬ古巣の広島だった。

金本をはじめ、巨人に移籍した川口和久や江藤智など、広島からFA権を行使して他球団に移籍した選手で、復帰した例はない。現監督の緒方孝市や前田智徳、野村謙二郎など、ファンから愛され続けているのは、いずれもFA権の行使を思いとどまり、野球人生を広島に捧げた選手たちだ。

「実際、新井の復帰が発表された当初、広島の街では『何をいまさら』という声が相当大きかった。生え抜きとして目をかけられていたのに、選手として一番脂が乗り切っていた時期にチームを捨てて出ていった。その『裏切り者』に全盛期を過ぎて『戻ってきます』と言われたところで、ファンの感情としては簡単には受け入れがたかった」(前出・スポーツ紙記者)

そんなファンのわだかまりと、その裏にある愛情を一番良く理解しているのは、他ならぬ新井自身だった。

前出の山崎氏が言う。

「'15年シーズンの開幕前、新井と一緒に食事をしたんです。『僕は広島のファンに受け入れてもらえるでしょうか』と言うので、『なに言ってるんだ、よく帰ってきたな』と。

当時は一塁に新外国人のグスマンがいて、新井はレギュラーどころか一軍が約束されているわけでもない。崖っぷちから、もう一度実力で、ファンに認めてもらわなくてはいけない。相当の悲壮感が伝わってきました」

恩返しはまだ終わっていない

「裏切り者」の自分が、どうしたらファンに受け入れてもらえるのか。自分に出来ることは何か。悩んだ末に新井が選んだ道は、カープへの愛情を姿勢で示すことだった。