この時に派遣の根拠としたのは、PKO派遣5原則という日本の国内法で、1992年にできたものです。
PKO派遣5原則とは、自衛隊の派遣のための条件です。
その条件とは、紛争当事者の同意があり停戦が守られていること。そして、その停戦が破られたら撤退できる、というものです。
これが、現在でも、南スーダンの自衛隊派遣の根拠になっているのです。
PKO派遣5原則はなりたっていないのだから自衛隊は今すぐ撤退させろ!と皆さんは思うでしょう。
できません。遅すぎます。
今、全世界が、南スーダンの情勢を憂い、住民を見放すなと言っている時に、日本が引いたら、どうなるか? ルワンダの時とは、まったく違うのです。日本は、危機に瀕した無垢な住民を見放す非人道的な国家として烙印を押されます。外交的な地位が失墜します。
だから、現場の自衛隊は、撤退しないのです。というか、できないのです。
誰が自衛隊を追い込んだのか?
これは、非常に奇妙な状況です。
だから日本政府だけなのです。世界が重大な人道危機と憂いている南スーダンの今の状況を、「安定している」と言い続ける国は。
「安定している」と言い続けなれば、南スーダンに自衛隊を置き続ける法的な根拠が土台から崩れてしまうからです。
でも、その土台を根本的に見直す、という話にはならない。
だって、その土台を運用してきたのは、歴代の自民党政権だけでなく、旧社民党の面々も内閣にいた旧民主党政権の面々も、みんな同じ穴のムジナなのですから。
つまり、諸悪の根元であるPKO派遣5原則の見直しは、「政局」にならないのです。だから、ズルズルとここまできてしまったのです。
現場の自衛隊はたまったものではありません。全く意味をなさない日本の国内法と、国際人道主義の板挟みになって、世界で最も危険な戦場の一つに置かれ続けるのです。
自衛隊をこの状況に追い込んだのは誰の責任でしょうか?
1999年の国連によるPKOの劇的な変化を見誤ったのは、誰の責任でしょうか?
そのPKOに劇的な変化をさせたのは、現場で起こっている人道危機です。南スーダン、いや、アフリカのあの一帯の危機的状況を見誤ったのは、誰の責任でしょうか?
自民党だけですか? そもそも、常に批判の目を政策に注ぐのが、野党の役目じゃないのですか?
僕は、安倍政権の安保法制に反対の立場をとってきました。これは、現場、特に南スーダンの自衛隊の立場を、今まで以上に悪くするものと考えています。
しかし、以上の説明のように、諸悪の根元は、この安保法制ではありません。それ以前からあるPKO派遣5原則なのです。
言うまでもなく、PKO派遣5原則の見直しには、与党、野党、双方がまず懺悔することが必要です。これを政局にしてはいけません。与野党の協力が必要なのです。
残念ながら、それには、時間がかかります。
じゃあ、今、我々が直面する南スーダンの危機をどう乗り切るか?