定年後のエリートの悲哀を書いた『終わった人』が大ヒットした理由

俺の気持がなぜ分かる?との声が続出
内館 牧子 プロフィール

妻もハンパないストレス

一方、このようなどん底にあえぐ夫を持つ妻についても、リアルに書こうと考えていた。

定年になった夫が毎日家にいる。これは妻にとって相当つらい。今までは自由に外出したり友達を呼んだりしていたのに、できなくなる。そればかりか、三食きちんと作らないとならない。さらにそればかりか、どん底の夫というものは、たいてい愚痴っぽい。

本著の主人公もため息と共に、

「残る桜も散る桜だな……」

などと言う。

しょせん、遅かれ早かれ人はみんな散るのだと毎日のように言う。さらに「現役時代は、社内外を一日一万歩以上歩いていたのに、今は行くところがない」だの「昔は手帳がスケジュールで真っ黒だったのに、今は真っ白だ」だの、いちいち愚痴る。妻はついに「いい加減にして」と怒るのだが、夫というものは、

「女房くらいにしか言えないだろ」

とくるのだ。たまったものではない。

この妻は仕事を持っており、夫の愚痴や暗い顔を目の前にしたくないため、必要以上に朝早く出勤していく。妻を送り出すという逆転現象に、夫はますます暗くなる。

こういう時こそ「夫婦の絆」が大切だの、「妻はもっと愛情を持つべきだ」だの、ありきたりな正論を言う人もあろう。

だが、妻とて60近いのだ。愚痴と暗い顔と三度の食事準備に加え、在宅している夫への気兼ねもある。とてもきれいごとで「絆」だの「愛情」だのと言えないと、女性ならわかるのではないか。実際、読者カードにも、

「うちの夫婦かと思った」

というコメントが少くなかった。

60代はまだ枯れちゃいない

こんな日々の中、主人公に仕事が転がり込む。あり得ないほどいい仕事だ。それだけに詐欺ではないかとあやしむ。精査の結果、優良企業で何の問題もなかった。

主人公は大喜びでその仕事につき、生き生きと第二ステージで輝く。そうなって初めて、定年後からの1年間を、自分がいかにめめしく愚痴っぽく生きて来たかと気づく。妻にも不快な思いをさせたと反省する。この男にとって、仕事がまさしく「身の丈に合った暮らし」だったのである。

ここから先の展開はどんでん返しに次ぐどんでん返しで、そう都合よくは進まない。現実社会は甘くない。

その意味では、主人公の恋愛もそうだ。

私は当初、この小説に恋愛を入れる気はまったくなかった。小説や映画では中高年の男が激しい恋に落ちたり、のっぴきならないところまで進んだりする。だが、現実社会を考えた時、どこのどんな女が「終わった人」に恋をするのか。

職なしカネなし、あるのは時間だけというリタイア男にそそられる女は、たまにはいるかもしれないが、ほとんどいないだろう。

だが、担当編集者(男性である)が言った。

「やっぱり、恋がないと淋しいなァ。恋を入れられませんか」

この提案に、私は目からウロコが落ちた。そうだ、小説や映画と違う「現実」を書こう。妻や娘は「終わった人」に夢中になる女は稀有だとわかっているので、

「パパ、恋でもしなさいよ!」

と、けしかける仕末だ。

脱稿した時、このシビアな恋物語があることが、60代の男を描く上で大きなポイントになったと思った。60代は、自分ではまだ枯れてはいないのに、社会では枯れた範疇に入れがちだ。そんな時に思わせぶりな女が現われれば、「まだ恋愛ができる自分」に力がみなぎる。

女が裏切れば、バカにするなとシッペ返しする気力も残っている。それは60代であればこそだろう。編集者に感謝である。

このような展開からもおわかりの通り、私はこの小説を決して甘くは書かなかった。ところが、読者カードの多くに、

「読んで心が明るくなった。先々に希望が持てた」

「定年後の人生に道筋がついた気がして、心が解放された」

などとある。編集者と2人で「どこに希望が持てたんだろうか」と話したのだが、ひとつには主人公が最後に到達する境地にあるかもしれない。

「思い出と戦っても勝てねンだよ」

これは旧知のプロレスラー武藤敬司さんの名言である。「終わった人」が苦しむのは、全盛期だった頃の自分と比べるからだ。それは遠い思い出であり、そんなものと戦っても勝てない。別の戦いをするべきなのだ。

主人公はここに到達し、故郷の岩手県盛岡市に戻ってゼロからやり直す。それは枯れていない60代にとって、先は見えないが心弾む新生活ではある。

「希望を持てた」という読者は、自分にも帰れる故郷があると気づいたのかもしれない。

岩手が生んだ天才歌人・石川啄木、その詩集『あこがれ』の献辞をもじり、私は「あとがき」に書いた。

「此書をすべての読者の遥に故郷の山河に捧ぐ」

▼2018年6月9日から全国ロードショー▼

読書人の雑誌「本」2016年10月号より