2016.09.24
# ミステリー小説

東野圭吾が海外で大ブーム! 日本ミステリー、つぎつぎ世界へ

英訳出版の現在
松川 良宏

もう一つ、ここでデータを示しておこう。

英訳版『容疑者χの献身』が刊行された2011年2月の時点で、日本のミステリー小説の英訳は50冊ほどだった。つまり、それ以降の5年半ほどの間に、日本ミステリーの英訳は約40冊が刊行されているのである。

もっともこの数字だけを見て、日本のミステリー小説が英米の出版社から注目されるようになってきた、と判断するのは早計だ。やはり多くは日本の出版社、日本に関係する出版社から刊行されたものであり、英米の大手〜中堅の出版社から刊行されたものはごく少数である。

とはいえ少数であっても、『容疑者χの献身』の英訳以前にはほぼ見られなかったそのような事例が増えてきているというのは注目に値する。これには、英米の出版業界の事情もかかわっている。

英米ではそもそも、翻訳ミステリーというものがあまり読まれていなかった。多くのミステリー読者は英語圏のミステリー小説だけで満足し、翻訳ミステリーの出版数自体があまり多くはなかったのである。

その状況を変えたのが、日本で北欧ミステリーブームを巻き起こしたスウェーデンの作品、スティーグ・ラーソン《ミレニアム》三部作であった。2008年から2009年にかけて《ミレニアム》が英訳されて大ヒットすると、英米のミステリー出版業界で「第二のスティーグ・ラーソン」を探し求める気運が盛り上がる。

米国『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の2010年7月1日付の記事「Fiction's Global Crime Wave」には、アメリカの出版社が《ミレニアム》の次のヒット作を求めて、非英語圏のミステリー作家の翻訳出版に積極的に乗り出したということが書かれており、日本の作家では東野圭吾と吉田修一の名前が挙がっている。

そして『容疑者χの献身』の英訳版が刊行された際には、同紙に「彼が第二のスティーグ・ラーソンなのか?」(Is this Guy the Next Stieg Larsson?)と題する東野圭吾のインタビュー記事も掲載されている。

もっとも同記事によれば、アメリカの出版社が『容疑者χの献身』の翻訳出版の契約をしたのは《ミレニアム》のヒット以前だったそうだが、ガリレオシリーズを引っさげての東野圭吾の「登場」が、非英語圏からのニューヒーローを求める英米ミステリー界の需要にまさに合致したタイミングであったのは間違いない。

そして英訳版『容疑者χの献身』は大ヒットとなり、英米のミステリー出版業界は、東野圭吾の「次」に興味を持ち始めた。

そのようななかで、湊かなえや高野和明、横山秀夫、誉田哲也といった作家の作品が、英米の大手〜中堅出版社から刊行されるようになったのがここ数年の状況である。

英米のミステリー業界は《ミレニアム》以前/以後で大きく変わったが、英米での日本ミステリーの受容に関していえば、『容疑者χの献身』以前/以後で大きく変わった、といっていいだろう。

東野圭吾作品の英訳状況

冒頭でも簡単に触れたが、東野圭吾作品の英訳状況を改めて見てみよう。

ガリレオシリーズは現在までに、長編第一作『容疑者χの献身』(2011年2月)、長編第二作『聖女の救済』(2012年10月)、長編第三作『真夏の方程式』(2016年2月)が英訳されている(括弧内は翻訳出版された年月を示す。以下同じ)。

英米では短編集はあまり歓迎されないらしく、『探偵ガリレオ』、『予知夢』、『ガリレオの苦悩』等の短編集は英訳されていない。

加賀恭一郎シリーズは第4作『悪意』(2014年10月)が英訳されており、第8作『新参者』も英訳出版の予定である。ノンシリーズ作品では、英訳の出版順に『秘密』(2004年)、『白夜行』(2015年10月)が出ており、『ゲームの名は誘拐』の英訳が近刊予定である。

『白夜行』の英訳は先にイギリスで刊行されており、アメリカ版は今年の11月に刊行予定である。また、『真夏の方程式』の英訳版は今年2月に刊行されたばかりだ。そのためこの2作についてはまだ英語圏において評価が出揃っていないといえる。

【表1】東野圭吾作品の英訳書(英訳刊行順)

*『白夜行』のアメリカ版タイトルはイギリス版と異なり、『Under the Midnight Sun』になる予定

それ以外の4作品で、特に高く評価されているのが『容疑者χの献身』と『悪意』である。

『容疑者χの献身』はエドガー賞以外に、アメリカのミステリー雑誌『デッドリー・プレジャーズ』が主催するバリー賞の最優秀新人賞にもノミネートされた(受賞はテイラー・スティーヴンス『インフォメーショニスト』、ほかのノミネート作はアリス・ラプラント『忘却の声』、SJ・ワトソン『わたしが眠りにつく前に』、レナ・コバブール&アニタ・フリース『スーツケースの中の少年』など)。

また全米図書館協会により、ミステリー部門の年間ベストの推薦図書に選出されている(最終候補作はサラ・グラン『探偵は壊れた街で』、ジョー・ネスボ『スノーマン』など)。

『悪意』は英訳版が出版される前から注目されており、アメリカの図書館員の有志が結成した団体「LibraryReads」により、2014年10月版のベスト10書籍の1冊に選出された(毎月、翌月発売の書籍[小説に限らない]から10冊が選出される)。

そして年末には、英『フィナンシャル・タイムズ』紙で高名なミステリー評論家、バリー・フォーショーにより2014年のミステリー・ベスト5のうちの1冊に選ばれる。また、翌年2月には、オーディオブックを対象とするアメリカの賞、オーディー賞のミステリー部門の最終候補6作に選ばれた(受賞したのはロバート・ガルブレイス[J・K・ローリング]『カイコの紡ぐ嘘』)。

なお、『聖女の救済』は賞などへのノミネートこそなかったものの、アメリカの読書交流サイト「goodreads」のユーザーが選ぶ日本のミステリー小説のオールタイムベストで第3位にランクインしている。第1位は『容疑者χの献身』、第2位は桐野夏生『OUT』である。

【表2】「goodreads」ユーザーが選ぶ日本のミステリー小説のオールタイムベスト20(2016年8月28日現在)

『白夜行』のアメリカでの刊行も控えており、『容疑者χの献身』と同じく日本で『このミステリーがすごい!』の第1位に輝いた『新参者』の英訳出版も予定されている。今後、東野圭吾の英語圏での評価はさらに高まっていくことだろう。

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