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人間は理性ではなく感情で動く!「行動経済学」が切り開いた地平

第一人者による必読書を読む
池田 純一 プロフィール

行動経済学は何に逆襲したのか?

ただでさえ、経済活動は人間心理が左右するのに、マネーゲームの部分が肥大化した金融市場では、錨となるべき「現実の世界」が捨象され、人間の心理のみが経済活動を決定し、浮遊させてしまう。

つまり、情報化、データ化、ゲーム化という形で、抽象的なモデルに近い形で経済活動が営まれれば営まれるほど、行動経済学のもつ知見や洞察が活きる場面は増えていく。従来の経済学が前提にしてきた、人間の合理的判断や最適化への収束といった仮定も手放しに信じることはできなくなるのだろう。

実際、スマートフォンの普及から一人ひとりの行動が様々な形でデータ化され、分析の対象となるビッグデータの時代を迎えて、人間の現実的な経済行動に焦点を当てる行動経済学への関心は高まりつつある。

すでに述べたように、行動経済学では、意思決定の際に、知性や合理性だけでなく、感情や心理といった人間的要素こそを重視する。

その行動経済学の来し方行く末を知る上でよい案内役になるのが、セイラー自身によって書かれた『行動経済学の逆襲』(原題は“Misbehaving”)だ。

セイラーは、行動経済学のパイオニアの一人であり、この本では、行動経済学が形成される過程が、学者になってから以後のセイラーの半生記として語られる。

彼が逆襲した相手とは「経済人(ホモ・エコノミクス)」であり、「市場の情報を完全に知った上で、自らの満足基準にしたがって、最適化を図る」架空上の人物だ。しかし、その合理的な経済人が、従来のミクロ経済学の根底を支えてきた。

セイラーは、この「ホモ・エコノミクス」をEcon(「エコン」と訳されているが発音としては「イーコン」だろう)と略している。だから、彼の「行動経済学」が目指すのは、標語的にいえば「イーコンからヒューマンへ」ということになる。

そして、このヒューマンの部分については、単に人間心理を組み込むだけでなく、現在ではさらに踏み込んで脳科学の成果まで反映されるに至っている。

ここまでくると、これは本当に経済学なのか、と疑ってしまうくらい学際的なものだ。工学的であり、心理学的であり、マーケティングに酷似していることから経営学的にすら思えてくる。

行動経済学の知見を応用

そういえばセイラーには、「リバタリアン・パターナリズム」という言葉を広めた『実践行動経済学』という本もあった。

法学者のキャス・サンスティーンとの共著であるこの本は、むしろ原書タイトルである“Nudge(ナッジ)”の方が、ああ、あれか、と思い出す人も多いかもしれない。肘でこづいて相手の行動をそれとなく促す、あの「ナッジ」だ。背中のひと押しのことだ。

オバマのホワイトハウスにスタッフとして参加し、行政活動の効率化(いわゆる「スマート・ガバメント化」)にも携わったサンスティーンは、今では母校のハーバード・ロースクール教授であるが、“Nudge(ナッジ)”を書いた当時はシカゴ大学で教鞭を執っており、学部は違えどセイラーの同僚であった。

ナッジはむしろ、行動経済学の知見を公共政策の立案に活かそうとする試みだった。「選択アーキテクチャ」という形で、あらかじめ人びとが取るべき行動の選択肢を複数用意した上で、その選択の段階で個々人の自由意志を尊重するというのが、リバタリアン・パターナリズムの骨子であった。

行動経済学によれば、人間の判断は限定合理性の下で行われる。すなわち、限られた情報に基づき時間的制約を受けながら習慣的バイアスの下である選択がなされる。こうした状況を踏まえて、出発点となる選択肢をあらかじめ示すことで、公共的に望ましい方向への誘導を図ろうとする。

官僚や公務員が行政サービスのあり方を先導する日本であれば、特に珍しいことではないのだが、アメリカでは何ごとにつけ個人による選択の自由意志が尊重されるため、結論を誘導するこの方法論には、特に保守的な論客から批判もあった。

けれどもここでは、そのような方法論が、恣意的な誘導ではなく、行動経済学という学知の上で「合理的」に提案されたところに着目しておいた方がよいだろう。その意味でリベラル/リバタリアンな流儀、すなわち自由を合理的に尊重した考え方なのである。人間心理を重視する行動経済学も、経済「学」として、合理性を尊重するところは変わらない。

「経済」の多層的な意味

実際のところ、行動経済学に限らず、情報化やインターネット以後、ミクロ経済学は、ソフトウェアとして実装される「アーキテクチャ」を定める仕様=モデルを与える、理性的な思考方法として注目されている。

そうした時代性を反映してか、たとえばノーベル経済学賞も、2012年にはアルビン・E・ロス(「マーケットデザイン」)、2014年にはジャン・ティロール(「産業組織論」)が受賞している。

ロスには『Who Gets What』というマーケットデザインを扱った著書がある。いずれの領域も市場や企業組織の存立条件を経済学的に分析するものであり、その知見は、実際に市場や組織の設計(デザイン)に応用される。

もともと「経済」という日本語は「経世済民」から来ているため、どちらかというとマクロ経済的な国富と関わるニュアンスで受け止められることが多い。

だから、ミクロ経済学の成果を受け止めるには、むしろセイラーが略した「イーコン」という表現でも使って差別化したほうがよいのかもしれない。そうすることで「合理的に最適化を図る」という機能面に焦点を当てる。それこそ、Fin-Techの方で用いられる経済学的知見は「イーコン」の方だ。

もっとも行動経済学の興隆は、「イーコンからヒューマンへ」とさらにもう一歩進めなければならないのであるが。

裏返すと、マクロ経済的イメージを伴う「経済学」という言葉と、ミクロ経済学のさらに先を目指す行動経済学でいう「経済学」という言葉の間には、二段階ほどイメージの転回があり、その分、理解の混乱があってもしかたがないのかもしれない。

とはいえ、Fin-Techの流行の背後には、行動経済学などミクロ経済学の様々な流派が控えている。むしろ、ミクロ経済学が応用される対象、すなわち応用経済学として、ITやFin-Techを捉えることで、この先の見通しがよくなるようにも思える。

ちょうど『マネー・ショート』の主人公たちが、金融市場という現場で、理論と現実のズレを確信し、Big Shortに賭けたように。

小さな発想の転換であっても、時に大きな知見の獲得に繋がることがあるからだ。

池田 純一(いけだ じゅんいち)
1965年生まれ。FERMAT Inc.代表。コンサルタント、Design Thinker。コロンビア大学大学院公共政策・経営学修了(MPA)。早稲田大学大学院理工学研究科修了(情報数理工学)。電通総研、電通を経て、メディア・コミュニケーション分野を専門とするFERMAT-Communications Visionary-を設立。著書に『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』、『デザインするテクノロジー』、『ウェブ文明論』など。 最新刊は『〈未来〉のつくり方』(講談社現代新書)。