侍ジャパン小久保監督の背中を押した恩師・王貞治の言葉

島地勝彦×小久保裕紀 【第4回】
島地 勝彦 プロフィール

シマジ 編集者も同じですよ。別の雑誌に移ると確実に視野が広がりますね。わたしは9年目で「週刊プレイボーイ」から「PLAYBOY」の副編として異動していろんな新しいことを覚えました。そして5,6年後経ってまた「週刊プレイボーイ」の編集長として戻ってきたんですが、その時はかなり力をつけて帰ってきたと思いますね。センスにも磨きがかかりました。

小久保 ぼくの場合は、ジャイアンツで3年間プレーしましたが、最後の3年目には原監督から「キャプテンをしろ」といわれました。“外様”のぼくがキャプテンをやらせてもらったんですよ。

シマジ それは珍しいことなんでしょうね。

小久保 外からきた者でジャイアンツのキャプテンになったのはぼくが初めてでした。じつはトレードを受けるときは、もうそのままジャイアンツで引退しようと思って引き受けたんですよ。

怪我で1軍の試合に出られないことが多かったんですが、そんなときたまたま、王さんが胃がんの告白をされたのをテレビでみて「王さんともう一度野球がしたい」という思いが強く湧いてきました。

シマジ まさに故郷に帰るような気持ちだったでしょうね。

小久保 いざ帰ってみると、みんなが「おかえり!」といってくれたんですが、あのときのありがたさは一生忘れられません。どこに行っても「おかえり!」といわれました。みんなぼくがホークスを出て行った経緯はなんとなくわかっていたようですね。チーム名もダイエーからソフトバンクに変っていました。

ただ心残りなのは、胃がんを克服されてやせ細った体で指揮を執り続けた王監督を胴上げするつもりで帰ってきたのに、それが実現出来なかったことです。そのことだけがぼくの野球人生のなかで心残りです。自分の記録には執着はないんですが、最後の最後に優勝して引退したかったですね。

シマジ 小久保さんの野球人生は立派なものではないですか。2000本安打といい400本のホームランといい、凄い記録じゃないですか。

小久保 自分としては2000本安打よりも400本のホームランのほうが嬉しいです。

立木 根本睦夫さんの下では何年やったんですか?

小久保 監督としては1年間でした。

立木 日本で監督をやった人のなかで、いちばん弱い監督だったかもいれないけど。でもおれは凄い人だと思うんだよね。