侍ジャパン小久保監督の背中を押した恩師・王貞治の言葉

島地勝彦×小久保裕紀 【第4回】
島地 勝彦 プロフィール

小久保 もちろんぼくが若かったこともありますが、自分のなかで譲れないところもあって、正直、ジャイアンツにトレードが決まったときは嬉しかったです。福岡のファンには申し訳なかったんですけど、自分としてはまっさらな場所でまっさらな気持ちでもう一度プレーしたいと思っていました。

ですから、ジャイアンツどうこうよりも、とにかく違うユニフォームを着てプレーしてみたいという気持ちが、2003年、リハビリをしながら自分のなかでが固まっていたことだったんです。

ジャイアンツにトレードされたのは、これもまた縁でした。ぼくは小さいころから巨人ファンだったので。しかもドラフトのときにお誘いを断った球団でしたし。プロに入って10年経ってもまだ縁があったということでしょう。

シマジ 小久保さんにとってジャイアンツの3年間はどんな経験でしたか?

小久保 自分の野球人生を振り返ったとき、ジャイアンツにいた3年間はものすごく意味のある経験だと思っています。あのころはジャイアンツがFAで外から4番ばかりを集めていた時期で、「また福岡から4番がくるぞ」というくらいでした。

1つの球団で主力に上り詰めるとやっぱりお山の大将になってしまうので、自分にとって耳の痛いことはなかなか入ってこなくなります。30歳を超えてジャイアンツに行って、そこで新たに人間関係を築いて、小久保裕紀という野球選手をファンに知ってもらう、そういう作業が出来たのは大きかったですね。あのままずっとホークスにいたら、そんな経験は味わえなかったでしょうから。

シマジ いまNHKでやっている野球解説者の仕事にもジャイアンツにいたことが凄く役立ったいるんじゃないですか。

立木 おいおい、どうして小久保監督がNHKの野球解説をやっているのを知っているんだよ。

シマジ 最近たまたまテレビをつけたら小久保さんがしゃべっていたんです。

小久保 それはもちろんありますね。いま「侍ジャパン」の監督をさせてもらっていますけど、それはたぶん、自分がジャイアンツにいた3年間をみてくれていた方が大勢いたからだと思います。1球団だけの経験では、日本代表チームを任せるのは、ちょっと怖いものがありますからね。