【追悼・世界の山ちゃん】すべては、パクリからはじまった「幻の手羽先」誕生秘話

豊田 正義

お客さんから『風来坊の手羽先にはゴマが振ってあるよ』と言われたら、『うちはゴマでは誤魔化しません』なんて言い返したものですよ(笑)」

味わった人なら分かるだろうが、「世界の山ちゃん」の手羽先は、秘伝の合わせコショウにより、スパイスの効いたピリ辛味である。甘みのある「風来坊」の味と対照的だが、これが常連にウケた。

そして、この手羽先の存在が広まるきっかけを作ったのは、大内と同じく創業当時からの常連の一人、スナック経営者だった杉山秀樹であった。杉山は、ある夜の出来事を次のように証言する。

「山ちゃんの手羽先の唐揚げがクセになって、何本注文してもすぐに食べてしまったんですね。だから冗談で言ったんですよ、『すぐになくなっちゃうから、幻の手羽先だなあ』って。そうしたら山ちゃんが『それ、いいですね!』って。その日から『幻の手羽先』というネーミングにしてメニューに加えたんです」

手羽先の唐揚げ自体は風来坊の"パクリ"であったが、ネーミングの力は強かった。評判は口コミで広がり、店外に並べた丸椅子で手羽先を頬張る客が出るほど繁盛した。年商はうなぎ登りで、開業3年目で3000万円に達した。そして、この大ヒットが山本に実業家としての自覚を植え付けたのだ。山本は言う。

「スタート時の目標は"1億円を貯めて金利生活"でしたが、途中から変わりました。自分が作った店が流行って、計算して儲かっていく。店舗展開する面白味に目覚めていったんです」

「経営のやり方が分からない」

開業4年目から毎年1店舗、名古屋市内に「やまちゃん」の支店を出し、「幻の手羽先」の文字を看板に掲げた。材料の仕入れ用のワンボックスカーを「てばしゃき号」と名付け、車のフロントに油性マジックで「てばしゃ~き~」、サイドに「目標年商100億円!」と書いて名古屋市内をぐるぐると走り回った。

もう一つの転機も、アルバイト従業員の何気ない一言に過ぎなかった。ある深夜、酔った従業員が、店にかかってきた電話を取って「はい、世界のやまちゃんです」と冗談で返したのである。それを耳にした山本は、従業員を叱るどころか即座に店名に使うことを決めた。開業4年目に有限会社を設立した際、社名を「世界のやまちゃん」と登録したのである。

しかし当時の山本は、「経営は、経営者が儲けるための手段」と考えていたという。もともと1億円を貯金し金利生活を送るために始めた商売である。預金通帳の数字が増えることばかり喜んでいた彼にしてみれば、当然の価値観であった。

「経営が面白いと思った私は、寿司屋や女性スタッフのみのバーにも手を出しました。でも、すべて失敗したのです。結局、手羽先の唐揚げをメインにした居酒屋経営に絞り、売り上げも順調に持ち直しました。そんな時です。別の問題が持ち上がりました。店舗とともに従業員が増えたのですが、彼らが私の言うことをさっぱり聞いてくれない。私は経営者としての自信をなくしました」

山本は常日頃から、従業員に「私みたいにおカネを貯めなさい」と勧めていた。

ところが、カネの話ばかりするオーナーを従業員は馬鹿にしていた。ある店舗では従業員全員が一致団結して山本を見下す態度を取ったため、山本は全員をクビにしたこともある。その店は、1号店からの常連客たちにしばらく働いてもらうことで、どうにか窮状を乗り切った。そんなことで経営者が務まるはずがない。

「経営のやり方が分からない」。経営者には、「儲ける」以外の価値観の創出が求められることを、山本はここで初めて知ることになった。そして道を求めて様々な経営セミナーに参加していた山本は、ある経営者に出逢ったことで、決定的な影響を受けることになる―。

(文中敬称略、後編へ続く)

著者:豊田 正義(とよだ・まさよし)
ノンフィクションライター。
1966年、東京都生まれ。
早稲田大学第一文学部を卒業後に渡米し、ニューヨークの日系誌記者を経てフリーに。
著書に『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(講談社)、『独りぼっち 飯島愛36年の軌跡』(講談社)、『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』(新潮社)、『DV-殴らずにはいられない男たち』(光文社新書)、『男たちのED事情』(晶文社)、『壊れかけていた私から壊れそうなあなたへ』(大修館書店)、『家庭という病巣』(新潮社新書)、他多数。時代を映す企業人・文化人へのインタビューも手掛ける。