【追悼・世界の山ちゃん】すべては、パクリからはじまった「幻の手羽先」誕生秘話

豊田 正義

しかし全国的にみれば、風来坊の知名度は山ちゃんに比べて低い。風来坊が東京に進出していないのに対し、山ちゃんは東京に15店舗を構え、テレビを中心にマスコミの露出度は圧倒的に高い。消費者の多くは「手羽先の唐揚げの元祖は山ちゃん」と勘違いしているだろう。この状況について感想を求めると、大坪は大いに不満だと声のトーンを荒くした。

手羽先の唐揚げを初めて世に広めた「風来坊」チェーンの大坪健庫会長。山本の二番手商法を語った

「"手羽先の唐揚げ"と名付けたのは私ですから、そりゃあ『世界の山ちゃん』が元祖と見なされていることには迷惑しています。商標登録をしておけばよかったと後悔しているくらいですよ」

だが、調べたところ、山本重雄自身がインタビューなどで「自分の店が手羽先の元祖」などと語ったことはない。彼はどのメディアにも「元祖は風来坊さんで、私は真似をしただけです」と語っている。

だから大坪も、山ちゃんとの間で事を荒立てようなどとは考えない。

「山本さんは、いい男ですよ。もし彼が『うちが元祖』と語り出したら法的手段でも取ろうと思っていました。しかしテレビでも『風来坊さんが元祖』と言ってくれるんですから、憎めませんよね」

山本重雄という経営者の強みはこのあたりにある。自分が気に入ったことを即座に取り入れ、やや手を加えて独自の路線にしていく。そして真似したのであれば、そのことを公表し、低姿勢を貫く。この柔軟性こそ、山本重雄が居酒屋チェーン業界の風雲児となった最大の所以であろう。その成功までの軌跡は、「変人」の名に違わず、波瀾万丈なものだった。

ネーミングの力

山本重雄は'57(昭和32)年、岐阜県中部の山に囲まれた洞戸村(現・関市)で生まれた。豊かな自然のもとで育った山本は、県立武義高校を卒業後、得意の柔道を活かせる職業として、警察官か自衛官かという選択に迷った。その際、自衛隊員から「調理班があるから、好きなだけ料理の勉強ができる」と言われたのが決め手になった。

山本は幼少期から、川で獲ったイワナなどを調理して振る舞うことが好きだったのだ。

海上自衛隊に入隊した山本だが、訓練の合間に読んだ一冊の本によって、自衛隊を3年で除隊する。「あなたも1億円貯められる」。魅惑的なフレーズを書いたのは、"キャバレー王"の異名を持つ福富太郎である。

戦後、格安のキャバレー「ハリウッド」をチェーン展開して長者番付に名を連ねた福富は、その中で、現金商売の飲食店であれば10年で1億円貯められると断言。特に元手が少なく利ざやの大きい焼き鳥屋を勧めていた。

山本は興奮した。3年間の自衛隊勤務を終えると、姉を頼って名古屋に赴き、大手居酒屋のチェーン店で飲食業の経験を積んだのだ。山本重雄が回想する。

「創業するまで、そして創業してからもとにかく儲けることしか頭になかったですね。当時の金利は8%くらいあったので、1億円貯めたら年間800万円の金利です。そこまで貯めて若いうちに仕事から引退して悠々自適の生活を送ろうと本気で思ったものでした」