【追悼・世界の山ちゃん】すべては、パクリからはじまった「幻の手羽先」誕生秘話

豊田 正義

社員総会の場面に戻ろう。店舗の成績発表や会長の訓示などを経て、締めくくりに歌われたのが冒頭の社歌だった。『幻の歌』というタイトルのこの歌には、「幻の手羽先」を引っ提げ、世界進出を果たすというエスワイフードの夢が込められているという。だが、そこから汲むべき意味は、もう一つある。

一般的に、創業者が思い入れたっぷりに法外なカネをかけて製作する社歌を"パクリ"で済ませた精神にこそ、名古屋ローカルの居酒屋を東京に進出させ、売り上げ低迷が続く居酒屋業界の中で、数少ない成功店となった秘訣があるのだ―。

手羽先の元祖も憎めない男

実際、エスワイフードの業績の伸びは目覚ましい。特に関東進出を果たした'03年以降は急成長し、6年間で年商は51億円増の78億円('09年8月期決算)に達した。現在、山ちゃんは名古屋33店舗、関東20店舗、その他の地区5店舗の、計58店舗を誇る。関東進出の前年には名古屋のみに20軒しかなかったことからも、この数年での成長の著しさが分かる。

「世界の山ちゃん」の拠点・本丸店(名古屋市中区)。武道場もあり、幹部社員は稽古が義務づけられる

この快進撃を引っ張ってきたのが創業者の山本重雄(52)である。居酒屋業界で彼ほど顔の売れた創業者もいないだろう。

背中に鳥の羽を生やしたマスコットキャラクター「鳥男」は、山本がモデルだ。'09年9月、社長の座を実弟の裕志に譲って会長職に就いたが、代表権は依然として兄の重雄が持つ。新規出店など重要事項の決定は山本に一任されている。

立派な変人―創業者の山本が推奨する価値観である。「世界の山ちゃん」という店名、看板に描かれた「鳥男」のイラスト、「幻の手羽先」という目玉商品のネーミングに至るまで、山本が"変人"だからこそ実行できたアイディアであり、そのすべてが当たってきた。

実は、これらのアイディアは、山本のオリジナルではない。周囲の人間が何気なく言ったことや使ったものを山本が「おもしろい!」と感じ、即座に商売に取り入れたのだ。そもそも目玉商品の手羽先の唐揚げでさえ、社歌と同じ"パクリ"からスタートしたのである。

手羽先の唐揚げといえば、今や"名古屋メシ"の代表メニューの一つに数え上げられているが、編み出したのは、名古屋の鳥料理屋「風来坊」である。'63(昭和38)年に風来坊1号店をオープンさせた大坪健庫(80、現「風来坊チェーン会」会長)が、それまでスープの出汁を取るのに使うくらいであった手羽先を試しに揚げてみたのが始まりだった。大坪は、懐かしそうに振り返った。

「当時、私は1日30羽くらいの鶏を畜産業者から買っていたんですが、ある日、注文の連絡ミスがあって、仕入れができなかったんです。困っていた時、鶏の生産工場の片隅に山のように積まれた手羽先が目に入ってきた。『この手羽先、どうすんの?』と私が工場長に訊くと、『捨てる』と言うんで、安値で買った。店で唐揚げにし、タレを塗って出したら大好評だったわけですよ」

手羽先の唐揚げは爆発的な人気を呼んだ。風来坊はたちまち有名店となり、大坪の弟子たちが次々に暖簾分けして独立した。現在、風来坊のチェーン店の数は、愛知県や岐阜県など70店舗を超える。