SMAP解散と天皇「生前退位」の見えないつながり〜歌は世につれ、世は歌につれ

彼らはこうして時代の"象徴"になった
中川 右介 プロフィール

「木村拓哉の時代」は、93年に始まったと言ってよく、それに連動して94年3月にSMAPのシングルは初めて1位を獲得した。

SMAPがチャートで1位を得た94年3月、田原俊彦がジャニーズ事務所を出た。もうその前から、彼の主演ドラマは高視聴率を取れなくなっていた。「明るいトシちゃん」のイメージが強すぎて、それ以外のシリアスな役に挑んでもヒットせず、といって、「トシちゃん」を続けるのも限界が来ていたのだ。

田原は心機一転したいとの思いで独立した。当人とすれば、まさに親元から子が独立するようなものとの認識で、トラブルがあったわけではない。

だが、ジャニーズ事務所は、子の独立を喜ぶ甘い親ではなかった。同社はテレビ局各局に「田原俊彦が出る番組にはうちのタレントは出ません」と伝えたのだ。

「田原を出すな」と言えば、圧力をかけたことになるが、「うちのタレントは出ません」と言うのは、会社の方針を伝えるだけだ。この巧妙なやりくちで、田原俊彦はテレビ番組に出られなくなった。

ジャニーズ事務所中興の祖と言える功労者へのあまりにも酷い仕打ちは、しかし、同社への批判にはならず、「ジャニーズ事務所に逆らってはいけない」という教訓として芸能界に残された。昨年からのSMAPの分裂・独立騒動から解散へ至るまでの騒動も、この教訓が前提としてある。

ロンバケで確立した「木村拓哉の時代」

1996年4月、それまでの「月9」の記録を塗り替えた大ヒットドラマが始まった。木村拓哉主演「ロングバケーション」だ。最高視聴率36.7%、平均視聴率29.6%である。

同じ4月から、「SMAP×SMAP」も始まった。月曜10時、つまり「月9」の後だ。9時から「ロングバケーション」を見ていた人たちは、チャンネルをそのままにしていれば、「SMAP×SMAP」を見ることになる。こうして木村を見たくてテレビを見ていた人々は、SMAP全体も自動的に見ることになった。

ここに、「SMAPの時代」あるいは「木村拓哉の時代」が確立された。

木村が俳優として活躍するのと並行して、中居や稲垣、草薙、香取らも活躍していき、それぞれの単独での活動が、グループ全体の人気をさらに高めていくという相乗効果を生んでいった。

SMAPのメンバーがいなかったら、平成のテレビドラマは随分とつまらないものになっていただろう。人気のある彼らが主演することである程度の視聴率が約束されているがために、プロデューサーやディレクター、シナリオ作家たちは野心的な作品を制作できた。

1980年代、松田聖子や中森明菜のもとに当代最高の作詞家・作曲家が集まり、楽曲を提供し、大衆歌謡曲でありながら前衛的革命的な歌が生まれたのと同じ幸福な構図が、平成時代のSMAPメンバーの出るテレビドラマにはあった。

なお、音楽分野でのSMAP作品については、発売されたばかりの(いいタイミングで出たのか、最悪のタイミングなのかの判断は難しいが)矢野利裕著『SMAPは終わらない』(垣内出版)という本に詳しい。