「メダルをとっただけで万事うまくいくほど、世の中は甘くない」日本人金メダリスト「全員」のその後【中編】

'68年メキシコシティ~'76年モントリオール
週刊現代 プロフィール

フリースタイルフェザー級の金子正明(76歳)は、当時では珍しい28歳妻子持ちのメダリストとして注目を浴びた。引退後の経歴もまた異色だ。

「46歳のとき、自衛隊の職員として、自衛官の再就職先の相談でフジテレビの鹿内春雄会長(当時)のところに行ったら、なぜか私がスカウトされてしまった」

鹿内会長の秘書兼ボディーガードを務めたのち、警備部長まで務め上げ、61歳で退社。現在もビル管理業務を行う会社で汗を流す日々だ。

この大会、個人団体あわせて3つの金メダルを獲得したのが男子体操の加藤沢男(69歳)。'99年には国際スポーツ記者協会が選ぶ「20世紀を代表する25選手」に、ペレやモハメド・アリといった顔ぶれと並んで、日本人で唯一選出された。

引退後は、母校の筑波大学で後進の育成にあたったのち、退官。現在も白鴎大学教育学部教授として教鞭をとっている。

次のミュンヘン大会('72年)では一転、惜敗が続いたレスリングで金メダルを守ったのが57kg級の柳田英明(69歳)だ。

引退後、「ソウル大会でメダルを取れるようにして欲しい」と、韓国代表のコーチを依頼される。

「『お前は日本で教えないで、韓国に行くのか』と罵られたこともあります。でも、当時は日本でコーチをしても無報酬が当たり前。金メダリストでも、指導者として食べていくには海外に出て、自分で道を切り開くよりほかなかった」

柳田の尽力もあり、韓国代表はソウル五輪のレスリングで9個のメダルを獲得。現在は、故郷の秋田県八郎潟町で酒販店を経営しながら、週に2日、子どもたちにレスリングを教えている。

ミュンヘンは、久々に水泳選手の活躍が目立った大会でもあった。

男子100m平泳ぎ、残り25mからのゴボウ抜きで世界新記録(当時)を樹立したのが、田口信教(65歳)。'76年のモントリオール大会にも連続出場を果たすが、準決勝で敗退し引退を決意。体育専門の国立大学・鹿屋体育大学の教員になり、現在は同校の教授だ。

順調なキャリアを歩んだように見える田口だが、金メダリストならではの苦労があったという。

「『教授になれたのは、金メダリストだからでしょ』とか、『有名だから周りがちやほやしてくれただけ』と言われたこともあります。もちろん実際は、メダルをとっただけで万事うまくいくほど、世の中は甘くない」

だが、そうした声を気にしていても仕方がない、と田口は言う。