清原和博、松井秀喜、香川伸行……甲子園「歴代最強スラッガー」は誰だ?

週刊現代 プロフィール

甲子園では原より津末が上だった

木嶋 報徳学園を優勝に導いたエースの金村義明も4番として活躍しました。享栄の藤王康晴は甲子園の3試合で3本塁打。しかも打率は9割ですから、化け物ですよ。

植草 懐かしいところでは市和歌山商の藤田平も思い出に残る強打者だった。決勝では惜しくも岡山東商にサヨナラ負けを喫したけどエースの平松政次から2安打している。

衣笠祥雄/強肩打者の捕手として8強入り。米国人の父を持ち日本人離れした身体能力を発揮した [photo]gettyimages

木嶋 のちに「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄(平安)は、当時から人間としても立派な選手でした。学校に着く2駅前で電車を降りて、トレーニングのために走って通っていたようです。

植草 あとは東海大相模の津末秀明。スター性で言えば原辰徳なんだけど、甲子園時点での打力は津末が上だったと思う。

原辰徳 〔photo〕gettyimages

銚子商の篠塚和典もよく覚えている。金属バットが導入された'74年に、あえて木製バットで2本の本塁打を放つなど、柔らかいバッティングは当時から別格だった。

木嶋 二塁塁審をしていた箕島対星稜('79年夏、延長18回の死闘)で1点を追う12回裏2死から同点ホームランを打った箕島の嶋田宗彦も忘れられません。まさかあの場面でホームランが出るとは思っていなかった。そうしたらゴーンって。

植草 ああいう緊迫した場面で打てる「勝負強さ」もスラッガーの条件ですよね。さらに16回裏にも1点ビハインドから箕島の森川康弘が同点アーチだもんね。

木嶋 2死で一塁ファールゾーンに打ち上げてしまい、ゲームセットと思った瞬間、星稜の一塁手が転び捕球できなかった。九死に一生を得た後の一撃だった。「まさか、嘘やろ。高校野球ってなんや。すごいやんけ」と思いながら目で打球を追いかけていました。

植草 これからも記録だけでなく、記憶に残るドラマを作ってくれる最強スラッガーに巡り会いたいね。

〈了〉

きじま・いっこう/高校野球審判員。'49年兵庫県生まれ。甲子園での審判経験も多数。審判は52歳で引退したが、現在も審判技術顧問として甲子園に通い選手たちを見守る
うえくさ・さだお/元朝日放送アナウンサー。'32年東京生まれ。朝日放送時代は’98年まで夏の甲子園の実況を担当。「甲子園に奇跡は生きています!」など数々の名実況を残した

『週刊現代』2016年8月20・27日号より