「小泉純一郎にあって、加藤紘一になかったもの」山崎拓が明かす「真実」

総理になれた男と、なれなかった男の違い
週刊現代 プロフィール

——加藤の乱の際、加藤派の方はXデー前に切り崩されていき、側近だったはずの古賀誠氏まで離反していますね。そうしたことがクーデターの失敗につながります。

その辺りは『YKK秘録』にも記載しましたが、加藤が「黙っていられなかった」ことが原因だと思います。加藤は事前に民主党(当時)の鳩山由紀夫氏や菅直人氏、仙谷由人氏、枝野幸男氏らに大連立構想を持ちかけていましたし、森さんと緊密な、青木(幹雄)さんに倒閣後の人事構想まで持ちかけていた。

乱の直前、小沢一郎と会った際、「紘ちゃんはひとりよがりで脇が甘いところがある。話が漏れるのが早すぎて、切り崩されてしまうぞ」と警告も受けました。謀をペラペラと話してしまえば、すぐに次の手が打たれるに決まっている。

不安は的中し、加藤派は不信任決議の日までに多くの議員が切り崩されてしまいます。それにひきかえ山崎派は、当時森内閣の法務大臣だった保岡興治をのぞき、全員が私についてきてくれた。

実は保岡も「辞任しなくていいの?」と、聞いてきました。それで私から、「閣僚が不信任案に賛成するのはおかしい。自らの不信任を自分でやるようなものだ」と窘めた経緯があるくらいです。

我々を踏み台にした小泉

小泉は、「加藤の乱」の中で、こうした経過をつぶさに見ていました。表面上は友情に導かれて助けに来たように振る舞いつつ、山崎派を新しい「バック」にして、自分が表舞台に出ることを私に対して宣言したのです。

そういう意味で、YKKのうち最も酷いのは、小泉ということになるのかもしれません(笑)。結果的に狙い通り、我々を踏み台にして総理の座に就くのですから。

——小泉政権の誕生により、自民党の旧来型派閥政治は終わりを告げます。そして、自民党の下野と民主党への政権交代を経て、現在の安倍政権につながる政治のダイナミズムを生み出すことになります。YKKは、そうした意味でも時代を画す存在だったと言えます。

こんなことがありました。ある晩、小泉が、

「加藤さんも拓さんも、二人とも総理大臣になりたいんだろう?」

と、聞いてきたことがあった。加藤はキザなところがあったので黙っていましたが、私は素直に「うん、なりたい」と応じた。すると小泉が、

「総理になる順番はじゃんけんで決めろ。勝った順に応援してやる」

と、言うのです。

「じゃんけん」はしませんでした。なぜなら、加藤は「絶対自分が先になる」と思っているから、万が一負けたら、大変なことになってしまう(笑)。

そこで私が小泉に、「あんたはならんのか?」と、水を向けたら、

31年に及ぶ議員生活の記録であり、政界「奥の院」の記録でもある >> Amazonはこちら
>> 楽天はこちら

「ファーストレディがいないと、外遊する時に困るだろう。YKKで、2人もやればいいだろう」

と答えました。

私は、加藤が総理になったら、「じゃあ、後は拓さんやれよ」と推してくれるのかなと、心のどこかで思っていました。加藤は私のような者が支えないと総理は難しいだろうと思っていたし、彼は総理の座を狙いはしても、それほどしがみつかないだろうと見ていた。加藤には、そういう淡泊なところがあったからです。

ですが、総理になったのは加藤でも私でもなく、小泉でした。振り返れば私と加藤は、小泉に比べると随分、ウブだったのかもしれませんね。

「週刊現代」2016年8月6日号より