「小泉純一郎にあって、加藤紘一になかったもの」山崎拓が明かす「真実」

総理になれた男と、なれなかった男の違い
週刊現代 プロフィール

加藤の口が軽すぎた

——そんな、一歩引いた立場を取っていた小泉さんが、加藤の乱が頓挫した直後から、「野望」をむき出しにしてきます。

加藤もわかっていたことですが、政治とは実に「冷厳」なものです。

加藤の乱の際、小泉は我々には同調せず、勝者の側になります。そして、乱の直後に開いた私の誕生日パーティーに、突然乗り込んで来るのです。

そして壇上でマイクを握ると、こう言い放った。

「YKKは友情と打算の二重奏です」

「皆さんは、私が友情でこの場に来たとお思いでしょうが、さに非ず打算で来たんですよ」

小泉の言葉はYKKの本質を表していました。「友情と打算の二重奏」、まさに我々の関係そのものです。そしてそこには、非常に政治的な「綾」が含まれた、こんな意味も込められていました。

「俺は打算で来たんだ。次は俺を応援しろ。お前らは失敗したんだから、今度は俺の応援をしろ」

実際、私はその後、彼の「支え役」になります。自分で言うのもなんですが、小泉政権の初期は、私が参謀役としてついていなかったら、もたなかったと思っています。

仄聞したところでは、小泉が'01年の総裁選に勝利すると、即座に中曽根(康弘元総理)さんから電話が入って、

「山崎を幹事長にするしかお前に道はないぞ」

と、おっしゃったそうです。それぐらい彼の足元は脆弱だった。小泉政権を真の意味で支えたのは彼の出身派閥である清和会ではなく、山崎派だったということです。

——うまく乱に乗じた格好の小泉氏は、最初からすべてを計算して動いていたのでしょうか。

それはないと思います。ただ、小泉はその前に2回、総裁選に出馬して、惨敗している。

彼は俗に言う「賄賂」を絶対に受け取らなかった。私は、小泉と全盛期の小沢一郎の政局勘の鋭さは非常に似たところがある、と何度か感じたことがありますけれど、政治とカネに関するスタンスにおいては、両極の存在だったと思う。

でもそれゆえ、小泉は派閥を持つことはできませんでした。派閥は資金がなければ結束を保つことができないですし、人事権も持てない。

小泉は2度の総裁選敗北で、清和会頼みでは、総裁選に勝てないことを肌で感じていたでしょう。そんな時に加藤の乱が起き、その中で一糸乱れず行動を共にした山崎派の結束力を見た。味方が少ない彼は、山崎派こそ自分の支えになり得ると考えたのでしょう。