実は「聖火」はこんなに政治的だった!リオ、東京、北京…秘められた開催国の思惑

意外と知らない「聖火リレーの政治学」
森田 浩之 プロフィール

「モーメント・オブ・チャイナ」とは

ようやく101中学の門が見えた。その前には何台もの警察車両。周りの歩道には人があふれ、警官と兵士がにらみをきかせている。五星紅旗の小旗が打ち振られ、上空を飛ぶヘリコプターに歓声がわく。

時計の針が正午に近づいた。バンや大型バスを含む十数台の車が門を通り抜けていく。その車列に大きな歓声が起こる。だが、聖火を運んでいるかどうかはわからない。

車列が中学に入ってから15分が過ぎた。ネット上の情報が正しければ、聖火リレーは門の向こうですでに終わっている。しかし群集は動かず、まだ何かを待っている。

門の近くで中国人の女性テレビ記者に英語で話を聞くことができた。

「聖火リレーを見られないとはっきり知っていた人は、それほど多くないでしょう。でも多くの人は、見られなくてもかまわないんです。その場に来て、群集に加わり、声を上げる。それができればいい」

――聖火が見られないことに怒ったりはしない?

「みんな状況を理解しています。見られないなら、それは仕方ない。そのときは、なるべく聖火のそばに行くんです。空気を感じるために」

――空気?

「今が〈モーメント・オブ・チャイナ〉だという空気です」

モーメント・オブ・チャイナ――。日本語にしにくいが、少し言葉数を使って意訳すれば「自分を世界の主人公だと中国が思える時間」といったところだろうか。

中国人は、世界の主人公になれたこの時に熱くなっている。主人公になったことの象徴ともいえる聖火はもちろん見たい。もし見られないなら、なるべく聖火の近くにいたい。できるだけ主人公の気分を味わえる場所に、その空気を共有できる同胞たちの人混みの中にいたい。

たとえその姿を見せなくても、聖火には国民に自分たちが世界の主人公であることを確認させる力さえある。