あなたには、国のために死ぬ覚悟がありますか?~自衛隊「特殊部隊」創設者と「紛争解決人」が悩み抜いた末に出した答え

伊藤祐靖, 伊勢﨑賢治

命をかけるとはどういうことか

伊勢﨑:伊藤さんの本に戻ると、タイトルが、『国のために死ねるか』ですよね。そこで聞きたいことがあるんです。まだ自分でも整理がついていないのですが、「命をかける」ということについてです。

たとえば、この本には、北朝鮮による拉致問題が出てきます。他国が自国民を勝手に攫って行って、それに対して何もできないことに対しては、僕もたいへん忸怩たる思いがある。小泉政権後、日本政府は本当に何もやっていませんからね。拉致被害者の家族はかなりご高齢になられていますが、その人たちが亡くなるのを待っているとしか思えない。同じ「日本人」として悔しい。その気持ちは絶対にある。

一方で、命をかけるというのは、別の言葉で言うと、リスクを負う覚悟ですね。そういった意味では、僕らのようなPKO要員もリスクを承知でやっていますから、特殊部隊の皆さんには足元にも及びませんが、まあ、命をかけているのでしょう。この場合、リスクとは、自分の命もあるでしょうが、逆に人を殺すリスクも、です。

人間誰しもリスクは負いたくない。しかし、自分の中にある大義があって、それを達成したいと思う願望が、多少のリスクを負っても、と思う時がある。そういう時に、リスクをとる自分の背中を、国家のような他の主体が押してくれたら、うれしいですよね。PKOのような戦争処理の現場は、それが交錯する場所なんです。

たとえば、東チモールでは、別に僕は日本のためにやったわけではありません。それは、東チモール人のためとも言えなくもないけど、実際、僕、派遣が決まるまで、あの国には何の興味もありませんでした。ただ、自分が役に立ちそうだと思ったし、21世紀初独立国家というので世界も注目していたから、刺激もあった。こんな感じで、個人の大義を僕の中で作ってたんですね。

そこで、ニュージーランド兵が殺された。もし、それが自衛隊員だったらどうか。ニュージーランド兵の死より、自衛隊員の死のほうが、より頭にきたか。たぶん、そうはならなかったと思います。僕のその時の怒りは、国籍を超えていましたから。だから、僕個人の大義が生む怒りは、国を単位としていない。しかし、拉致問題では、「日本人」だから頭にくる。これをどう消化すればいいのか。僕にはまだ整理がついていないんです。愛国心がないと言われそうですが。

伊藤祐靖氏(プロフィールは下段)

伊藤:正直言って、始まってしまえば、そこは考えないと思います。行く前には考えるかもしれませんが、いったん行ってしまえば、自分が行動する意義についてはいちいち考えないと思います。作戦行動がはじまってしまえば、それより、作戦の目的「何をするための作戦」だったのか、というのには、何度も立ち返るとは思いますけどね。

伊勢﨑:自衛隊ではまだいませんが、実際に犠牲になった日本人が結構いるんですね。警察官、外交官、民間ボランティアです。タジキスタンで犠牲になった秋野豊さんは、もともと僕と同じ研究者でした。それが、外務省に頼まれて、国連タジキスタン監視団の一員として現地に派遣され、犠牲になった。

日本の外務省は、民間人に頼んでこうした国連の危険な現場に行ってもらうことをよくするんです。外交官を国の命令で国連に行かせて犠牲にすると、国の責任が問われますよね。でも、民間人は個人意思で国連に応募するという形をとりますから、それが避けられる。

伊藤:アメリカのPMC(民間軍事会社)みたいなものですね。彼らが犠牲になっているうちは、アメリカ軍としては「戦死者ゼロ」ですから。(次ページへ)

伊藤祐靖(いとう すけやす)1964年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著書に『国のために死ねるか―自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文春新書)などがある。