小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」

特別座談会【前編】
片岡義男, 江國香織, 佐々木敦

佐々木:たとえ最初は見えてなくても、書いていくと「これしかない」という終わり方が出てくるものなんでしょうか?

江國:出てくると信じています。正しく書いていけば、そこに辿り着くはずだと信じていて。書き始めたときには自分でも終わりが見えていなくて、本当に不意に、「ああ、こうなるのだ」となることが多いですね。

佐々木:最後の一行から最初の一行までさかのぼったときに、全部が確実に繋がっていると思える。どうしてそれが可能なのでしょうか?

片岡:性格というか気質というか、それと関連しているような気がしますね。

江國:私も、気質抜きには語れない気がします。自分の気質とか、ほとんど体質。きちんと設計図を引くということが苦手なんでしょうね。

長編のときには、多少色々と考えたりノートを作ったりはするんですけど、結末まで決めるということはほぼないし、決めても途中で変えてしまう、もしくは変わっていく。何か物語が行きたいところに行かせたいんですね。放し飼いです。

佐々木:普通は設計図を引いてそれに沿っていかないと不安だと思うんですけど、不安ではあっても、正解をつかむことができるということですよね。

江國:そういう気がします。

片岡:僕はどちらかといえば癇癪持ちというか、「やってしまえ」という気質だから。例えば僕が綿密に下書きをしたとしたら、実際に書く短編と同じ結末になっていると思います。

佐々木:下書きがそのまま短編小説になってしまうわけですね。

(→後編「日本語で男と女をどう描く?」はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/49144