小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」

特別座談会【前編】
片岡義男, 江國香織, 佐々木敦

小説に必要なものは、外からやってくる

佐々木:少し前の本ですけど、岩波書店から出た『言葉を生きる』という片岡さんのエッセイ集の中に、「小説を書く」という文章があります。

最初の一行だけ読ませていただくと、「小説を書くためにまず最初に絶対に必要なのは、僕の場合、これは小説になる、と瞬間的に確信することの出来る、これ、というものだ」。「これは小説になる」と思うときの「これ」はどうやってお二人に訪れるのでしょうか。

片岡:まずひとつはっきり言えるのは、「これ」とは僕の中から出てくるものではなくて、僕の外にあるんです。外から僕にやってくる。たまたま、偶然に。それに僕が気付くわけです。「ああ、これだ」という風に。だから僕としては、基本的には気楽なんですよ。全部、外から来るんですから。それを見逃さなければいい。

佐々木:それに対して江國さんは。

江國:そうですね。確かに私も自分の中から出てくるものではないと思います。

片岡:ほーら。

江國:私の場合は、外にある言葉であることが多くて。「号泣する準備はできていた」という短編のタイトルも、英語でそういう言い方をしますよね。「レディ・トゥ・バースト・イントゥ・ティアーズ」かな。

日本語ではあまり「泣く」と「準備」って繋がらない。急に、本人にとって予想外のこととして泣くことが、文章上は多いですね。「その準備ができていた、泣く準備はもうできていたって、面白い言い方だな」と思って、それを日本語に直訳したものは小説になるはずだと思ったんです。そうですね、言葉から短編ができることが多いです。

片岡:なるほど、いい話を聞きました。英語らしい表現を直訳すると短編ができてしまう。

佐々木敦さん

佐々木:片岡さんの小説には、すごく論理的なところがある。タイトルもそうで、例えば『と、彼女は言った』の二編目に入っている短編は「だから靴は銀色だった」というタイトルですが、この「だから」というのはまさに論理じゃないですか。「何々『だから』何々である」、そういう「だから感」みたいなものが、先ほどの「こうでなければならない」ところにも関わっているように思います。

片岡:見事に繋がっています。「だから」は、『雨上がりだから』です。雨上がりでアスファルトが濡れているから、いつもより黒い。そうすると銀色の靴がよく映える。だから銀色の靴なんです。靴は変わらない。路面が変わっている。

江國:あのタイトル、素晴らしいですよね。「だから」に胸をうたれる。

片岡:ごく平凡に題名をつけると「銀色の靴」なんですね。もうちょっとひねると「靴は銀色だった」とか。もっと正確に言うと「だから靴は銀色だった」になる。