小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」

特別座談会【前編】
片岡義男, 江國香織, 佐々木敦

片岡:彼女のアクションも正解なんです。お土産にもらった茶色の紙袋を開いて、中を見る。中にあるものを手にとって出すわけではなくて、袋の中に見る。そのアクションがものすごく正しいんです。

江國:ありがとうございます。でも、片岡さんの小説はそういうものの宝庫ですから。どの一編をとっても正解しか書かない。正解ではないものを削っちゃうんですね、きっと。

片岡:きっとそうです。

江國:だから、読む行為がすごく幸福なんですね。正解じゃないものはひとつも見せられずに済むので、目がきれいになったような感じです。きれいな土地に行ったときみたいに。でも必要な矛盾や、必要な余分はもちろんあるんです。どうしてそんなことができるのか。

片岡:言葉を使っていると、そうならざるを得ないんじゃないかな、きっと。

江國:言葉への信頼度が関係するような気がするんです。

片岡:どこかで共通しているのは、やはり言葉の使い方でしょうね。言葉とは何なのかを考えているというか、言葉に対する態度というか、信頼していないといけない。

江國:はい、そう思います。

片岡:「言葉をこういう風に使えば、こういうことができるんだ」という信頼感ですね。

佐々木:小説は虚構なのに、それが正解であると思える。その一方で、現実には正解じゃないものが山ほどある。現実と小説の関係を、お二人はどう考えられますか。

片岡:現実というのは、脈絡なしに様々なことが同時に起きる。そこからストーリーをつかみ出して言葉で小説を書くとなると、余計なものはいらないですね、当然。だから時々思わなくもないのは、逆に邪魔なものばかりで書いてみたいと。正解が何ひとつない、それはそれである種の正解なんです。

江國:片岡さんが書かれたら、ある種の正解になりますね。それは小説化するプロセスなんですね、きっと。

片岡:きっとそうです。だから、整理される前の段階が現実で、作家によって色々に整理された結果が、色々な作家による色々な小説だと思うんです。