小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」

特別座談会【前編】
片岡義男, 江國香織, 佐々木敦

小説の中に「時間を流す」方法

佐々木:江國さんが、片岡さんの書かれたものを最初に読まれたのはいつですか。

江國:最初に読んだのは、18歳ですから、34年ぐらい前です。ずっと昔ですね。今の片岡さんが書かれるものの清潔さとか言葉の際立ち方は、そのときも鮮烈だったんですけど、ディテールとして憧れるようなものがものすごく沢山あった。30数年前には、例えば外国製のコーヒーだって、オートバイに乗るような女の人だって、今よりはずっと少なかったので、憧れました。

片岡:僕が憧れるのは、江國さんの小説に出てくる女性ですね。そこにいるだけで前進力があるんです。

江國:そうでしょうか?

片岡:そうなんです。僕の場合は前進させないといけないんです。関係を作って、状況を展開させて、会話を作って。だからその辺に憧れますね。どうやればああいう風に書けるのか。江國さんの描く女性は、へっちゃらなんです、何があっても。へっちゃらでもないかもしれないけれど、へっちゃらな状態に移していくんです。

江國:すごいな。自分では分からないですね。前進させるのは私も結構必死です。書かないと、何かしないと、前進してくれない気がしますけど。ただ、人が小説の中にいて、場所があって、時間が流れれば小説になるわけですね。そうすると、「人」はまあ作ることが可能で、「場所」も書き込む、もしくは取材して書くことも可能。「時間」を流すことが一番難しいですね。

佐々木:なるほど。

江國:小説の中で1日なら1日分の、回想を含めて5年でもいいんですけど、ある一定の時間が現に流れている風に書くというのが、私は小説を書く全てのプロセスの中で一番難しいような気がするんです。片岡さんの『と、彼女は言った』は、そこが絶妙ですね。どの短編の中でも時間が流れている。

佐々木:実は、時間はあちこちに行っているんですよね。

江國:主人公が誰かと突然再会して、でもそこには20年とか30年の歳月がある。小説の中の2時間なら2時間という時間と、会わなかった20年なら20年という時間。その向こうには、高校時代の同級生だったら高校の3年間とか、幼なじみだったら子供の頃の10年間とか、何か今あるすべての時間が、この短い枚数の一編ずつに入っているというのは、本当に驚くような荒業だと思いました。

片岡:それはぜひ驚いていただきたいです。

江國:本当に。

片岡:おっしゃる通り、小説の中の時間は難しいんです。難しいから、僕の場合は短い時間の話が多い。でも短い時間だけでは持たないなと、さすがに僕でも思う。

となると、例えば再会なんかは非常にいい。10年ぶりに再会すると、10年前の時間が再会と同時に、自動的にできてくるわけです。だから「再会もの」というのは悪い手口ですよ。注意してくださいね。騙されないように。

佐々木:もうひとつ、例えば作品の中で「夜に会いましょう」と約束して、それまでの時間の話が出てきたり、「このお店でもう一度会いましょう」と言って別れたり、そういう「未来の時間」を予告することで時間が流れる、というのもありますね。

片岡:それも手口のひとつです。設定したら、そこに向かって時間が流れるわけですから。