人類はまだ天才「南方熊楠」の思想にたどり着けない〜現代人が見習うべき唯一無二の思考法

守備範囲は微生物から仏教まで!
中沢 新一

西欧ではこのロゴスの知性作用をとても重視しました。キリスト教時代でもそうですし、近代科学の時代になってもロゴスこそが真理を表現できる能力を持つ、と考えられてきました。とくに近代科学では、ロゴスの持つ能力の幅はぐっと狭められて、形式論理としてのロジックが支配的になります。

熊楠はこのロゴスの知性作用だけでは、世界の実相を把握することはできない、と考えたのです。ロゴスは(1)同一律(2)矛盾律(3)排中律という三つの基本ルールによって働きます。このルールによって、ものごとを分離し、矛盾を排除し、概念の重なり合いを除去して、線形的な秩序をつくりやすくします。

ところが生命の現実を観察すればするほど、このようなロゴスの通用しない現実があらわれてくることを、熊楠はよく知っていました。とりわけ粘菌のような生物では、同一律や矛盾律ばかりか、排中律さえ排除された生存形態をしめしています。生命の実相を理解するには、ロゴスを拡張した別の理性が必要であることを、熊楠は科学者としての経験を通じて、深く体験していたのです。

ところが仏教では、ロゴスを拡張したところに出現するこの別の理性についての深い探究がおこなわれていました。特に龍樹は『中論』や『中辺弁別』などで、この理性の働きを徹底的に追究しました。龍樹が取り出したもの、それはギリシャ哲学で「レンマ」と呼ばれた、ロゴスとは別の理性でした。このレンマの知性作用では、ロゴスの法則である同一律も矛盾律も排中律も取り除かれます。

その結果、あらゆる事物が相即相入しあい、マンダラ状に関係しあう、縁起の世界があらわれてくるようになります。南方熊楠は仏教が発達させたこのレンマの知性をもってするとき、ロゴスの限界を突破することが可能である、と考えたのでした。

西洋ではロゴスを中心にした学問が発達しましたが、東洋ではレンマによる学問が発達しました。ロゴス的知性の中から、科学的思考が生まれてきましたが、レンマ的知性をさらに発達させることによって、生命の実相に肉薄できるより拡張されたかたちの「レンマ的科学」を作り出す可能性があります。熊楠はそういう「レンマ的科学」の創造を、那智の山中で夢見、構想したのでした。

人生最大の知的躍進

このとき南方熊楠の参考書となったのが、『華厳経』という経典でした。『華厳経』は、数ある仏教経典の中でももっともサイエンス度の高い経典です。『華厳経』は菩薩の実践方法の説明から宇宙論までを包含した巨大な経典です。一貫したレンマの論理を土台にして、人生の意味から知性の解放された状態の説明にいたるまで、森羅万象が語られています。人間の知性の働きを宇宙の実相に近づけ一体化させていこうとする、東洋的学問(サイエンス)の古代における最高峰が、この経典にほかなりません。