イギリスEU離脱の世界史的インパクト〜私たちが受け取るべき「2つの重大警告」

歴史はまた繰り返すのか?
笠原 敏彦 プロフィール

第1の警告は、移民問題のタブー視は国家基盤を危うくするということだ。

世界に激震を走らせている「イギリス・ショック」の原点は、2004年に遡る。東欧など10ヵ国がEUに新規加盟したときだ。

EUはヒトの移動の自由と「EU市民」としての平等な扱いを加盟国に義務づけている。しかし、加盟国はこのとき、東欧の人々への7年間の就労制限を認められた。ほとんどの加盟国がこの権利を行使する中、当時のブレア労働党政権は門戸を開放するという寛容な政策を取った。

その結果、イギリスに住むEU移民は2004年~2015年の12年間に100万人から300万人へと急増することになる

しかし、問題の本質は移民の規模ではない。イギリスが門戸を開きながらも、移民を単なる労働力とみなし、決して歓迎することなく、さまざまな不満の声を放置してきたことこそが「移民問題」という危機の本質なのだ。

イギリス政府は、移民の低賃金労働(搾取)を看過し、「移民に仕事を奪われている」という労働者層の不満や、医療や教育、公共住宅など公共サービスの低下で不満を強める国民の声と真剣に向き合ってこなかった。

そして、イギリスでも移民問題を論じることはタブー視されるようになった。移民問題は容易に「人種差別批判」へ転じてしまうからだ。背景には、行き過ぎた「政治的公正さ(ポリティカル・コレクトネス)」が幅をきかせる社会のムードがある。

こうして、EU離脱を掲げる「英国独立党(UKIP)」などポピュリスト政治が増殖する社会的土壌が生まれ、それが、大英帝国の歴史への誇りを背景にしたナショナリズムの盛り上がりと一体化。国民が現状への不満を国民投票にぶつけるという今回の事態を招いたのである。

イギリスのEU離脱の引き金がいかに引かれたかを見極めるとき、そこに浮かび上がるのは、移民問題をタブー視してきた労働党や保守党など既成政党の姿勢である。

イギリス政府が門戸開放の一方で、それに見合うだけ、国民の不満にもっと声を傾けていれば、離脱という最悪の事態は避けることができただろう。

イギリスはもともと移民に寛容な国だった。第2次大戦後、旧植民地からの移民にはイギリス国籍を与えてきた。「イギリス国民とは誰か」と問うとき、「イギリス国王の下に集う人々」と言うほどオープンであり、イギリスに住む英連邦(旧植民地など加盟約50ヵ国)の住民には選挙権を与えているほどだ。

そのイギリスが極めて短期間に「不寛容な国」へと変質し、経済的な損失を覚悟の上でEU離脱という「自傷行為」に走ったことは、世界への大きな警告である。