モハメド・アリvsアントニオ猪木 40年目の「ある真実」

猪木戦より先に浮上した、幻の構想とは
細田 マサシ

「猪木?全然考えていなかったよ」

この時期、NET(現在のテレビ朝日)の運動部長で『ワールドプロレスリング』の初代プロデューサーをつとめていたのが、永里高平なる人物である。

永里高平は、いわゆる一般的なTVマンではない。

早稲田大学レスリング部出身の永里は、1949年に関東学生選手権で優勝したのを皮切りに、3連覇を含む国体4度制覇。全日本学生選手権3連覇。そして1950年、51年と全日本選手権を連覇している。いうまでもなく、正真正銘の一流レスラーである。

その永里に、アマチュアレスリングの手ほどきをしたのが八田一朗だった。つまり二人は師弟関係にあったのだ。媒酌人をつとめたのも八田なら、テレビ局への就職を斡旋したのも八田であるという。

2013年に85歳で逝去した永里の最晩年、筆者は永里と交流を持っていた。現在執筆している別件の取材を通じて知り合ったのだ。その人柄に惹かれ、何度も酒席をともにした。いつも楽しい酒だった。

ある日、筆者は永里から興味深い話を聞いた。

アメリカから帰国した八田一郎に呼び出された永里は、アリにまつわる話を聞かされたという。

「アリがまた日本で試合するって言っている。それも具体的な話で進みそうだ。どうだ、お前の会社(NET)でなんかやれんか。なんなら口を利いてやる」

ここで八田が永里にこの話を振ったのは、師弟の情というだけではない。

「キンシャサの奇跡」と呼ばれた1974年のアリ対フォアマン戦以降、日本のテレビ局で、アリの世界戦の中継を独占契約していたのがNETで、永里がまさにそのプロデューサーを務めていたのだ。アリの顧問弁護士だったボブ・アラムともパイプを持っており、NETなら交渉が順調に進むと考えた八田の判断は正しいというしかない。

恩師から話を振られた永里だが、その時点で「アリ対猪木戦」を考えたかといえば、そうではなかった。

「猪木? 全然考えてなかった。プロレスとボクシングじゃルールが違うし、やりようがないと思ったんだ。『プロレスラーとやれ』って言ったら先方が怒るとも思ったしさ」

当初永里が構想したのが、日本人のヘビー級ボクサーとの試合だったのは自然の成り行きであろう。なぜなら永里は、ボクシング番組である『エキサイトボクシング』のプロデューサーでもあったからだ。