モハメド・アリvsアントニオ猪木 40年目の「ある真実」

猪木戦より先に浮上した、幻の構想とは
細田 マサシ

発端は、あるスポーツ紙の記事だった

そもそも──、この一戦が実現に至った発端として無視できない人物がいる。日本アマチュアレスリング協会(現日本レスリング協会)会長で元参議院議員の八田一朗である。

新間寿も次のように振り返っている。

昭和50年3月頃、日本アマチュアレスリング協会の八田一朗会長が、アメリカから帰国して、こんな話をしたんだね。“アリが、だれか日本人の格闘家で挑戦する者はいないのか、1RでKOしてやると言っている。ただし100万ドルをかけるのが条件だ”と。それをスポーツ紙が掲載してね。そのコラム記事を読んだのがアリ戦のきっかけだった」(『真相はこれだ!─不可思議8代事件の核心を撃つ』祝康成著/新潮社刊)

猪木自身もこう証言している。

きっかけというのはサンケイスポーツだったかな。コラムみたいなところで、アマレスの八田一朗氏がアメリカから帰っての談話の中で、アリが東洋人の挑戦を求めている。それも東洋人を非常に馬鹿にした話で、とにかく俺が賞金を出すから俺とやってみようという勇気のある奴はいないか──といった調子」(『ゴング』昭和51年6月号/日本スポーツ出版社刊)

筆者は、猪木が指した八田一朗に関するコラムを探した。国会図書館でこの時期のサンケイスポーツのバックナンバーを丹念に当たってみた。

「八田一朗はアリに何を言われたのか」
「アリの真意はどこにあったのか」
「猪木は、記事のどの箇所に触発されたのか」

これらの疑問を知るためには、そのコラムを読むのが、最も近道であるからだ。そこで見つけたのが、

「クレイ、日本人に挑戦」

という見出しの、サンケイスポーツの記事である。改宗から16年も経過していながら「アリ」とは書かず、「カシアス・クレイ」と表記するいかにも「米国追随の産経新聞」ならではのこの記事こそ、実は日本人との対戦に言及したアリの発言が、初めて活字になったものだ。そこにはこうある。

「もしオレに勝ったら三億円。負けても三千万円出そうじゃないか」プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)が、われと思わん日本人選手と対戦しようといい出した。話を持ってきたのは、先ごろ米国から帰った日本アマレス協会の八田一朗会長。クレイは日本の有望選手を育て、最終的にタイトルマッチをやろうというのだ。

(中略)「日本の有望選手をオレの手で育てる」とまで約束したのだから八田会長もびっくり。「オレは口に出したことは必ず実行する男。ぜひ良い選手を紹介してほしい」とたのまれた。(中略)

クレイの話を聞くなり、「ほ、本当ですか」と身を乗り出したのはマックスボクシング・クラブの溝口宗男会長。というのも、溝口会長のもとには、日本で初めて“世界”に通用しそうなヘビー級ボクサーがいるのだから無理もない
》(昭和50年3月7日付/サンケイスポーツ)

つまりこの記事からは、単に日本人と対戦することより、日本でヘビー級ボクサーを育成して、将来的にビジネスできまいか値踏みするアリの思惑がうかがえる。新間寿が言うように、100万ドルを賭けるなどとは言ってなければ、猪木の言うように、東洋人を特別馬鹿にしているわけでもなかったのだ。