『真田丸』で話題のあのシーンを再現! 徳川家子孫が434年ぶりに「伊賀越え」に挑戦してみた

家康公脱出経路を辿る
花房 麗子 プロフィール

それでも所要時間は7時間強!

平成の一行は甲賀地域の明王寺(ここには家康から家綱まで将軍4代の位牌がある)を経て、伊賀国柘植の徳永寺へ。当代住職が語る。

「うちの寺は藤堂藩の菩提寺でも何でもないんですが、藩祖・藤堂高虎から幕末まで代々の藩主から代替わりのたびに直筆の寄進状を受け取っているんです。しかも寺の瓦には三つ葉葵紋を使っていまして、これも藩から許可されています。書としては一切残っていませんが、伝承として、小川城を発った家康公一行が、海に向かいひた走るとき、あまりに喉が渇いてここに立ち寄り、当時の住職が家康公に茶をお出ししたと伝わっています」

徳永寺で藤堂高虎の寄進状を拝見

偶然にも、徳川家広氏は自身が持参した水、そしてツアーで提供されたペットボトルの茶も飲み干し、「・・・水分が欲しいです」と道の各所で所在なげに自動販売機を探していた。あいにく、行けども行けども鄙びた里に自販機は見つからない。まさにご先祖家康公と同じような状況で、徳永寺にたどりつき、本堂に設置されていたウォーターサーバーから美味しそうにお茶を飲んでいたのであった。

所要時間7時間強。文明の利器のおかげで神君家康公が2日がかりで通過した道を半日で踏破していった。同時代資料で通過が記されていても、バスが通れない細い道も多く、迂回せざるを得なかった箇所もある。

イベントの後、徳川氏はこう感想を述べている。

徳川 伊賀甲賀は、関東や中部地方のような、岩肌が覗く峻険な山とは違って、柔らかでしかも奥深い地でしたね。

私のご先祖は、漂泊の僧から身を起こして松平を名乗って武士となり、戦国の乱世のなかで、より活動的な版図を目指して沿海地域に進出しました。これが徳川家の基礎となっています。伊賀の山奥から海を目指して走った家康は、松平から徳川への歴史を追体験したようなもの。私自身も、途中から次第に自身のルーツをたどっている気になりました。

その日の夜。宿舎の周囲には、折り重なるようなクサガエルの鳴き声が響き渡っていた。この闇の中、本拠地・岡崎へ向けてひた走った家康は、朝日に照り返す浜の水面を見た瞬間、泣きたいほどの安堵を覚えたことだろう。