
文・写真/舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
オークモントで開催された今年の全米オープンは波乱続きで大荒れの大会だった。初日は3度にわたる雷雨サスペンデッドの末、日没サスペンデッド。大会進行の乱れは最終日の午前中まで続いた。
乱れたのは大会の進行ばかりではなかった。2度目の全米オープン優勝を狙うはずだった世界ランク3位のローリー・マキロイは、カットラインに2打も及ばず、通算8オーバーで予選落ち。
大会2連覇を狙う世界ランク2位のジョーダン・スピースも、メジャー2勝目を狙う世界ナンバー1のジェイソン・デイも、どちらも大きく出遅れ、優勝争いに絡むことが難しい状況に陥った。
そして、日本人初のメジャー優勝に期待がかかった松山英樹は、金曜日に一気に36ホールを回ったが、通算12オーバーと大きく崩れ、早々にオークモントを去っていった。
デイ、スピース、マキロイは世界トップ3にランクされ、いずれもメジャータイトルを有するトッププレーヤー。世界ランキング15位の松山はメジャー未勝利ではあるが、日本人選手の中では実力、実績、存在感、稼ぎ、すべてにおいて断トツのナンバー1。
そんな彼らがこぞって低迷した原因は何だったのか――。
批判もエクスキューズもせず、ゴルフですべてを封じる
低迷したスタープレーヤーたちに代わってリーダーボードを賑わわせてくれたのは、メジャー優勝を悲願に掲げるリー・ウエストウッド、セルヒオ・ガルシア、そしてダスティン・ジョンソンといった選手たちだった。
そして、首位に4打差の2位で最終ラウンドを迎えたジョンソンが、ルール上の“波乱”を乗り越え、2位に3打差をつけて全米オープン初優勝、メジャー初制覇を果たした。
振り返れば、長い道程だった。2007年にプロ転向して以来、米ツアー9勝の実力者。だが、メジャー大会ではどうしても勝てず、トップ10入りすること11回。全米オープンではペブルビーチの2010年大会で最終日を首位で迎えたが、「82」と崩れて8位に甘んじ、2014年は4位、昨年は2位。
人生やキャリアにおける波乱も多かった。2014年の夏には「個人的な問題」とだけ告げて突然ツアーから姿を消した。ドーピングや出場停止処分を疑う声が上がったが、ついに真相は明かされずじまい。15年2月に突然ツアーに復帰したジョンソンは、直後の3月にキャデラック選手権を制し、陰口や批判を勝利で封じてみせた。
昨年の全米オープンは72ホール目に3パットして目前の勝利をスピースに差し出す傷心の敗北を喫したが、1年後の今年、彼は見事にその雪辱を果たした。

勝利に迫りつつあった最終ラウンドの途中では、ルール上の珍事に遭遇した。
5番のパーパットを打とうと構えた際にボールが「動いた」のか「動かした」のか。その場で「無罰」と言ったルール委員の前言が翻され、ホールアウト後に再検討した上で1打罰になる可能性を告げられたのは12番。
だが、ジョンソンは残る6ホールを冷静に戦い抜き、18番の第2打をピン1メートルに付けた時点で、まとわりついてきたすべてのネガティブ要素を払拭。最後は1メートルのバーディーパットをしっかり沈め、2位に3打差をつけて会心の勝利を挙げた。
「存在していたのは僕とコースだけ。戦う相手はコースだけ。他のことは僕には何一つコントロールできない。いい気分だ。実にいい気分だ。僕は勝者に値する」
多くを語らず、批判もエクスキューズもしないジョンソンの武器は彼自身のゴルフ、ただそれだけだ。オークモントでは比類稀なるパワフルなドライビングをフル活用し、最も得意と自負する小技でスコアを作り、どんなことにも揺れない不動の精神力でパットを捻じ込み、そうやって彼は今年の全米オープンを制してみせた。