「舛添はアウト」で「山尾志桜里はセーフ」…この差はどこにあったのか?~政治の世界では、ロジックより大切なものがある

北島 純 プロフィール

「レッドフラッグ」に気づかなかった

今回の疑惑は当初、大名旅行のような豪華な海外視察や、湯河原の別荘往復に使う知事公用車の過剰利用等に対して、いわゆる「大衆のやっかみ」的な批判が集まっただけのように思えた。

しかし、その後、舛添知事の参議院議員時代からの政治資金収支報告書が徹底的にチェックされ、数々の「不適切な政治資金の支出」が事細かく糾弾されるようになった。いわば、当初の「公金支出」の適否に関する批判を、自身の政治生命の危機を示唆する「レッドフラッグ」と理解せずにやり過ごし、炎上モードに突入した感がある。

冷静に振り返ると、そもそも、舛添知事の命取りになった「政治資金の不適切な支出」の問題は、当初の「公金支出」批判の時点で、すでに政治資金収支報告書上のリスクとして存在していたことに気づく。それは、公金支出に対する批判の高まりとともに、舛添知事に対するいわば「アウェイ」な土壌が醸成され、その結果、本来であれば違法ではないが「不適切」と言える問題が「リスク」として顕在化したという意味である。

ホテルの家族旅行、頻繁な美術品の購入等、これらは2〜3年前に生じた事柄であり、昨日今日のものではない。以前から政治資金収支報告書に記載され、一般に公開されていた。「密やかに眠っていた」そうした問題を、例えば知事就任の前後に精査し、問題となる箇所を修正することは十分に可能だった。さらに、「公金支出」の適否が問題となった今年3月以降の時点でも、修正をすることは可能だったのである。

しかし、舛添知事は、それをただただ放置していたのだ。それはなぜだろうか。

ひとつ言えるのは、舛添知事の場合、明確な違法性が「なかった」からではないか。厚生労働大臣の経験がある舛添氏が、政治資金コンプライアンスの重要性を軽視していたとは思えない。むしろ、汚職や腐敗に厳しく対峙する姿勢を打ち出し、比較的クリーンなイメージを維持していたとも言える。

その舛添氏が、政治資金の問題でつまずいたのは、実は、真っ先に除去すべき明確な違法支出、違法な記載が政治資金収支報告書上に「なかった」からではないか。「法律的には問題がない」という確認が、今回の疑惑騒動より前の時点で実際になされていたかどうかは分からないが、与党政治家、国務大臣としての経験に基づくコンプライアンスの判断が、かえって仇となった可能性があるように思われる。

山尾政調会長の場合は、明確な違法が記載されていたことを大手メディアによって指摘される前に発見して除去するという、事前のリスクマネジメントが出来た。それに対して、舛添知事の場合は、明確な違法性が見当たらなかったがゆえに、政治資金収支報告書上のリスクを放置したという意味で、事前のリスクマネジメントが「不在」だったと言えよう。

リスクマネジメントが不在であるがゆえに「レッドフラッグ」を見逃し、危機管理モードに素手で突っ込んでいったとしたら、舛添知事でなくとも、顛末は悲惨なものになろう。実際、今回の危機管理における舛添知事の対応は、二つの際立った特徴を有していた。