「旧軍人・軍属には50兆円」「民間人にはゼロ」戦後補償の差を示す、あまりに残酷な数字

戦争受忍論をご存じですか?
栗原 俊雄 プロフィール

ことごとく、受忍論が壁となった

なぜ国は民間人にはしない補償を、軍人や軍属にはするのか。「国と特別な関係(雇用・被雇用)にあった」というのが、国の言い分である。確かに国家との関係という点でいえば、旧軍人軍属と民間人の間には違いがある。しかしその国が始めた戦争で被害を受けた、という点では同じだ。

「差別だ」「法の下の平等に反する」。民間人被害者たちがそう憤るのは当然であろう。司法が言い、行政が都合良く使い回してきた受忍論は、民間人にだけ適応されるものだったのだ。

在外財産補償訴訟に続き、1970年代以降、差別された戦争被害者による訴訟が相次いだ。元軍人軍属と同じく補償をしろ、という当たり前の主張である。しかし、いずれも地裁から高裁、最高裁ですべて敗訴し、原告敗訴が確定している。たとえば名古屋大空襲は1987年、原告敗訴確定)、さらに東京大空襲は2013年に敗訴確定、大阪大空襲は同2014年に敗訴が確定した。シベリア抑留の被害者原告に至っては、最高裁で判決が出た訴訟だけで4件ある。これもすべて敗訴である。

ことごとく、受忍論が壁となった。被告である国は、先に見た在外財産賠償訴訟の判例などを根拠に「受忍論」で原告の訴えをはねつけようとし、司法はこれに荷担した。

注目してほしいのは、ごく近年まで裁判が闘われていることだ。敗戦時10歳の子どもが、すでに80歳近くになっている。彼ら彼女らは、命を削って闘っていた。

たとえば2007年、シベリア抑留の被害者からなる「棄兵・棄民政策による国家賠償をかち取る会」(「棄兵・棄民の会」)の30人が1人あたり1100万円の国家賠償を求めて京都地裁に提訴した。原告の平均年齢は実に82・8歳であった。日本国政府が抑留者たちを保護する義務を果たさなかったことの責任を問うた。

筆者は裁判の傍聴を続けた。原告たちの中には、病気と闘っている人もいた。杖をついて、あるいは車いすで法廷に通い詰める人もいた。

この訴訟より前に、抑留被害者が国に賠償を求めた裁判のうち最高裁で3件、敗訴が確定していた。客観的にみて、「棄兵・棄民の会」が勝つのは難しかった。

「それなのに、しかも人生の終盤で、この人たちはなぜ闘っているんだろう」。筆者はそう思った。

裁判の中で、原告の一人が陳述した。

「終戦後60年間、私の頭の中には亡くなった私の初年兵時代の同僚とそれから何百という日本人の補充兵、少年兵、一番弱い立場の人がどんどん死んだことに関しまして、私は一生忘れないし、私のまぶたにはそれが残っています。この裁判で本当に日本の軍隊のやり方、それから終戦後の扱い方、これをはっきりと明確にわれわれ生き残ってきた兵隊に、一言で言うたら謝ってほしい」。

彼は身を震わせながら、言葉を振り絞っていた。

「お金のためじゃない。人間として平等に扱ってほしい」。東京大空襲訴訟の原告の一人は筆者にそう言っていた。しかし2016年6月現在、その願いはかなっていない。