「旧軍人・軍属には50兆円」「民間人にはゼロ」戦後補償の差を示す、あまりに残酷な数字

戦争受忍論をご存じですか?
栗原 俊雄 プロフィール

政治家を選んだ有権者にも責任があるのか

ともあれ、戦争被害受忍論はここに、判例として確立した。

「そうだよなあ。あの戦争では子どもから大人まで、みんななにかしらひどい目にあったんだよなあ。一人一人に補償していたら、国家財政がもたないよなあ」。そんな風に考える読者がいるだろうか。そう考えるのが、大日本帝国臣民の正しい道である。

しかし、この法理は早々に破綻している。先に見た判決文は、被害の程度について「多かれ少なかれ」とあまりにもおおざっぱにくくっている。しかし、たとえば東京大空襲で財産のみならず命まで奪われた人と、空襲がまったくない地方で暮らしていた人を比べたら、被害の差はあまりにも大きい。また被害の程度だけでなく、戦争に関して負うべき責任の重さは、為政者と市井の人たちとでは相当違う。

そういうことを人前で話すと、「当時の政治家を選んだ有権者にも責任がある」という指摘をまま聞く。

確かに、現代社会ならばそういう責任論もあり得る。政党政治が定着した今日、ある政党の党首を選ぶことは、間接的に為政者のトップである首相を選ぶことに通じる。それゆえ、あまり賢くない首相が失政をした場合、その首相を結果的に選んだ有権者にも責任はある。

しかし、大日本帝国の時代は事情がまるで違う。首相は、今日の首相よりはるかに権限が低かった。軍部が大臣を出さなければ倒れてしまった。意に沿わない閣僚をクビにすることすらできなかった。そんな首相でさえ、国民は間接的にすら選ぶことができなかった。

そして女性に参政権はなかった。戦争に反対する言論の自由はなかった。さらに言えば、国民が選ぶことができない貴族や宮廷政治家、官僚などがしばしば重要国策決定にかかわった。

そういう重要な国策決定、たとえば大日本帝国を奈落の底に引きずる機関車の役割をした日独伊三国軍事同盟を締結した為政者や、勝てるはずのない対米戦争を始めた為政者と、選挙権も言論の自由もない市民と同じように「がまんしましょうね」というのが、受忍論である。