台湾から輸入したトラックをフル改造……現代美術家やなぎみわが「移動舞台車」で目指す“表現”の地平

はたしてこれは「演劇」なのか?
寺田 悠馬 プロフィール

「古来からの人間の身体表現、原始的な習慣と、結びつきたい」

最後に筆者は、やなぎみわの『日輪の翼』は、はたして本当に「演劇」なのかという、最も根本的な疑問を掲げなければならない。

今回の公演に出演者として名を連ねる15人の中には、いわゆる俳優のほかにも、タップダンサー、ポールダンサー、ギタリスト、クラウン、ボイスパフォーマー、三味線奏者などの面々がいる。表現の必然性に応じて、写真、染織、リトグラフなど、あらゆるミディアムを使いこなしてきたやなぎは、こうした多種多様な身体芸術家たちを集めて、いったい何を企てているのだろうか?

自らも教鞭をとる京都造形芸術大学で行われた『日輪の翼』に関するシンポジウム(2014年11月)の壇上で、やなぎは次のように話している。

「歌謡ショー、キャバレー、サーカス。盛れば盛るほど、重たくて愛しくなるんですね。おそらくそれが正しい舞台車の使い方なんです。てんこ盛りの満艦飾のショーの風景、その記憶だけを残して、去っていくという、その繰り返しになっていくと思うんです」

そしてその1年半後、日本文化デザインフォーラム主催の「第14回ことばラボ」(2016年5月)に登壇した際には、こう言い切っている。

「今、サーカスの研究をしています。ハノイ、北京、フランスに行って、サーカスを観てきました。中上はサーカスでやった方がいいのでは、というのが結論です」

やなぎが購入した移動舞台車と、それを乗り回す身体芸術家たちの交わりが、いったいどのような作品を生み出すのか。それは観てのお楽しみということになるが、少なくとも、いわゆる「演劇」という言葉に綺麗に収まるものではないことが予想される。

だがここで、『日輪の翼』は果たして「演劇」なのか、それとも「サーカス」なのかという議論に終始してしまうとしたら、我々はまたしても分類に捕らわれて、やなぎが行おうとしていることの本質を取り逃がしてしまうだろう。

なぜなら、やなぎが「サーカス」という言葉を使う時、彼女はおそらく、いわゆるピエロや猛獣が出てくるそれを指してはいない。

「サーカスは、演劇より歴史が古いものです。ギリシャ悲劇よりもずっと古い中国の遺跡には、4千年も前のアクロバットの軌跡があります。文字がない頃からずっと行われてきた人間の身体表現、原始的な習慣と、結びつきたいのです」

そう語るやなぎにとって、「サーカス」とは、身体芸術があらゆるジャンルに細分化されてしまう以前の、より純度の高い姿を示す言葉なのではないだろうか。そして、そんな原始的な時代に我々を誘ってくれるのが、あるいはやなぎの移動舞台車である。そう考えた時、一見「てんこ盛りの満艦飾」であるそれは、じつは、人間の業を最もシンプルな姿で体現する重機に姿を変えるのではないかと、筆者は推察しているのだ。