台湾から輸入したトラックをフル改造……現代美術家やなぎみわが「移動舞台車」で目指す“表現”の地平

はたしてこれは「演劇」なのか?
寺田 悠馬 プロフィール
やなぎみわ 神戸市生まれ。1990年代後半より写真作品を発表。ドイツ・グッゲンハイム美術館、原美術館、国立国際美術館をはじめ国内外での個展多数。2009年、ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館代表。2011年から本格的に演劇活動を始め、美術館や劇場等で上演を重ねる。KAATでは、やなぎみわ演劇プロジェクトとして2011年に『1924海戦』、2013年に『ゼロ・アワー東京ローズ最後のテープ』に取り組み、『ゼロ・アワー』は終戦70年を迎えた2015年に北米5都市を巡回した。京都造形芸術大学美術工芸科教授。2016年東アジア交流使 〔PHOTO〕高樹光一郎

やなぎみわのキャリアを振り返ると、彼女は決して、写真作品ばかりを制作してきたわけではない。京都市立芸術大学では工芸科に所属し、はじめは染織など伝統工芸を、後にファイバーを用いたインスタレーション作品などを手がけた。

その後、大学院と数年間の就職経験を経て、やなぎが写真作品を発表するようになったのは90年代前半である。写真というミディアム(表現媒体)に行き着いた経緯を、やなぎは次のように振り返っている。

「(自身の工芸作品を)写真に撮ってみると、作品と距離を保てることを発見しました。それまでは素材に密着した制作をしていて、触覚や嗅覚といった五感に訴えるものが好きだったんですが、ある時、それが自分を制約しているような、好きだからこそそこからもう出られないような閉塞感を感じていたんです。平面にすべてを落とし込む写真は、自分がやっていたものの対極にあるような気がして、ちょっとあこがれる気持ちもありました」

こうした発言からも解るように、やなぎは、写真、染織、演劇といった、数あるミディアム(他にも、映像やリトグラフの作品も発表している)の特性、そして長所短所を、あるいは部外者のような冷静な視点で、つねに考察している。それは彼女が、一つのミディアムに特化した専門家という意識を持っていないからだろう。

彼女の中に、描きたいものが先にあって、それを表現するのに最適な手法を、都度選択して(そしてもちろん、ミディアムを使いこなす努力を繰り返して)いるうちに、ある作品は写真として、またある作品は演劇として顕れる――そんなプロセスが、現実に近いのではないだろうか。

かのハンナ・アーレントは、生前に正当な評価を受けることのなかったカフカとベンヤミンを例にあげて、「死後の名声とは、分類不能な者の運命である・・・人間社会は、特定の分野に収まらないものと、うまく折り合いをつけることができない」と書いている。

「演出家」あるいは「写真家」といった既存のレーベルは、複雑な社会を精査する上で便利ではあるが、時に、その裏側のリアリティを覆い隠してしまう。やなぎみわという人物を、分類して理解しようとする衝動を抑えることができたなら、我々は、その作品の核心に、より素直に触れることができるのだろう。