牛丼チェーン「戦国時代」崩壊と繁栄のドラマ〜値下げ戦争、狂牛病ショック、ワンオペ…

村瀬 秀信 プロフィール

狂牛病に各社はどう対応したのか

そんなチェーン牛丼界が、上を下への騒乱に揺れたのは2004年2月のこと。

"BSEの乱"。

なんの奇術か妖術か。牛の脳みそがスポンジ状になるという、アメリカで吹き荒れた狂牛の病により、3店共に使用していた米国産牛肉は、03年12月に輸入ストップ。

牛丼界では"米国牛已死豚丼当立"の旗印の下、次々と牛丼から、豚丼へとシフト。販売数が少ない神戸らんぷ亭などの小大名は、豪州産に切り替え販売を継続。都市部を拠点に勢力を伸ばしていた激安山賊・牛丼太郎などは思案の挙句、牛丼に豚肉を混ぜるというウルトラCなどで対応したが、天下を睨む3店は自分たちの牛丼をどうするか。それぞれの方策を示した。

「すき家」は、牛肉を豪州産に切り替え、味付けも適宜変更。04年9月には3店の中で最も早く牛丼の販売を再開した。

牛丼以外にストロングポイントのある「松屋」は、販売中止が最も遅かったが、奇遇にもBSE発覚前から「豚めし」を開発。その後、牛肉を中国産+豪州産にして牛丼を再開させている。

頑なに米国産牛肉にこだわったのが、当時牛丼界最大手であった「吉野家」だ。圧倒的に自信を持つその一杯は「米国産牛肉」「玉ねぎ」「タレ」の三兄弟があってこそ。

味を変えて倒産した過去も影響したのだろうか。米国産牛肉以外での販売再開を拒み、一部、築地の創業店などでは国産牛での牛丼が提供されたが、己の義を貫いた。その後、部分的、サイズ的、時間限定での再開を経て、完全復活となったのは4年後の2008年3月のことだった。