ヘビー級で世界と戦った男が明かす、K-1の過酷さと「舞台裏」【最強さん、いらっしゃい!第二回】佐竹雅昭・後編

細田 マサシ

石井館長との決別の理由

──なんでですか?
佐竹 まず館長からは、すでにK―1についての構想を聞かされていたんです。「フジテレビと組んで凄いことをやる」「これが成功したら一気に上に行けるぞ」と。それを聞いたらね、突っぱねることはできなかった。まず僕自身もそこに魅力を感じたし、綺麗ごとじゃなくて、館長を世界一のプロデューサーにしようと思っていたから。

──そこは師弟の関係ですか?
佐竹 ありましたね、それは。だってね、K-1以前の正道会館っていろんな会社に応援してもらわないと、大会も何も開けなかったし、運営もできなかった。要するに金のない時代ってとにかくスポンサーありきなんです。協賛してくれる会社さんとか。そういう会社ってとても有難い。でも中には「お前らはな、確かに強いけど金は持ってないやん」って、そんなことを平気で言う社長もいたんです。

──ひどいなあ!
佐竹 それは館長も悔しかったと思う。だから「この人を男にしたいなあ」っていうのは僕もありましたよ。そういう思い出もリアルに残ってたから、リングス入りよりそっちを選んだんです。だからね、大成功したあと、館長がああいうこと(脱税などの疑いで03年に逮捕されてしまう)になってしまったのも責められないなあって。

──リングス入団がなくなったことで前田さんから責められたりとかは?
佐竹 一切なかった。それがあの人もカッコイイなあって。それどころか、リングスと正道会館の関係が切れた後も、人づてに「あいつ頑張っているな」みたいなことを言ってくれたりしてね。

──ところで、石井館長との関係っていうのは、実際のところはどんな感じだったんですか?
佐竹 最初はよかった。練習も理論的だし、彼が芦原英幸のサバキの継承者であるのは間違いないです。それにプロモーターとしても最初はいい思い出もいっぱいあって、例えばリングスに参戦する前も、そんなにお金を持ってたわけじゃない。「新幹線を使うよりクルマで何人かで行った方が、高速代とガソリン代が安上がりや」とか言って、館長も東京大阪間を車で何往復もしたりして。

──まさに「そんな時代もあったねと……」ですね。
佐竹 泊まるホテルも、よくてビジネスホテル、普通で新宿のサウナ。時には「今日はほんまに金ないから、オールナイトの映画見て過ごそうや」ってこともありました。僕はその時代の館長を忘れていないんです。

──佐竹さんから見て「あ、この人変わったなあ」って思った瞬間というのは、あったんでしょうか?
佐竹 あるとき館長が「佐竹、俺は将来何になりたいか知ってるか?」って訊いてきたから「館長、(アメリカでもっとも有名なプロモーター)ドン・キングを抜きましょう!」って言うたら、「違うよ、俺はハリウッドスターや」(笑)

──えー!?
佐竹 いつからか夢が逆になってしまっていた(笑)。でもK―1で成功して、お金が入ってくると、周辺にハイエナみたいなやつが集まってくるんですよ。それで変わってしまったのもあるかもしれない。