公園で牛と闘う特訓をしていたら、日本一の空手家になっていました【最強さん、いらっしゃい!第二回】佐竹雅昭・前編

細田 マサシ

関テレに就職が決まったけれど…

佐竹 そんなこんなで大学卒業が見えてきて「就職どうしようかなあ」って時期になるわけです。「ハリウッドスターになる」という子供の頃の夢も、あるにはあったんだけど、空手で日本一になったということで、どこかで満足していたのかもしれないね。

──確かにそういう気持ちはわかります。
佐竹 それで、高校生のときから僕は空手少年みたいな感じで、ちょいちょいテレビに出ていたんですよ。例えば、関テレ(関西テレビ)の土曜深夜にやっていた『エンドレスナイト』とか。

──オールナイトフジを模倣した番組(笑)。バンバン(ばんばひろふみ)とゆき姉(兵藤ゆき)が司会でしたね。
佐竹 あれ時々出演していたんだけど、ロケに行くと、ディレクターの仕事を眼の前で見るでしょう。凄く興味持っちゃってね。モノ作りの面白さみたいなものを知って、「TVマンっていいなあ」って思ったら、話がトントン拍子に進んじゃって、関テレから内定貰った。

──面白い話ですね!
佐竹 かと思えば、当時はバブル期でしょう。土地開発とか凄く盛んな時代だったんだけど、梅田やミナミでディスコやレジャー施設をバンバン建てていた不動産企業の会長が「佐竹君、よかったらワシのカバン持ちせんか。それで世界の土地を一緒に買いに行こう」とまあ、魅力的なことをおっしゃるわけです。

──それはそれで魅力ですねえ。
佐竹 「世界」って言葉に特に弱いですからね(笑)。で、関テレよりそっちに傾きつつあってね。「でもまだ半年程考えよう」と思っていた、そんな時期に出場したのが、梶原一騎先生追悼の「格闘技の祭典」ですよ。

──憶えてますよ。両国国技館で開催された大会ですね。
佐竹 あれで「真の空手日本一を決めるフルコンタクト空手トーナメント」っていうのにエントリーしたんだけど、次々に勝ち進んで行ってね。他流派の選手をバンバン倒していって、それで決勝は後輩の柳澤聡行。練習でも一度も負けたことがない後輩ですよ。「あー、これは楽勝だ」と。

──手の内も知ってますしね。
佐竹 それで、最初から押していって、向こうは下がりっぱなし。有効を二個取って早くも勝ちパターン。それでラスト30秒のとこで、前にガーッと出たら、柳澤が飛び膝蹴りしてきて「あっ」と思ったらそれがアゴ先にバコーン! 片膝ついたら「技あり!」そのまま大逆転の判定負け。明らかな油断でしたよ。

──それは……
佐竹 痛かったね。気持ち的にもすごく痛かった。「一体俺は何をしてんねん」と。でもふと我に返ってね。「あれ?」と。「お前、ガキの頃からの夢も叶ってないのに、何を浮かれてんだ」という、天の配剤かなと思ってね。「そうじゃないだろう」と。