70年ぶりに蘇ったヒトラーに共感!? 劣化する日本に通じる「不気味な恐ろしさ」の正体

辻田 真佐憲 プロフィール

日本の民族差別とブラックジョーク問題を想起せよ

しかしながら、日本においては『帰ってきたヒトラー』が単にネタとして消費される可能性もないではない。この国では、ヒトラーも、ユダヤ人問題も、難民問題も、ドイツほど切迫してはいないからだ。

あるいは、本当に「悪いことばかりじゃなかった」というベタな感想も出てくるかもしれない。経済政策や環境保護政策などを例にあげて、ヒトラーの政治を部分的に擁護する声は、いまでもしばしば聞かれる。

ヒトラー再評価は論外にしても(経済政策ひとつとっても、ヒトラーのそれは他民族・他国からの収奪を前提にしており、部分的に切り離して評価することは適当ではない)、本作はネタ的な消費をある程度織り込み済みではある。日本でも人気を博する『ヒトラー~最期の12日間~』のパロディー・シーンなどはそのひとつだ。

ただ、それだけでは本作の核心に触れたことにはなるまい。本作は、民族差別やブラックジョークの問題を我が事として引き受けてはじめて、啓蒙的な作品となりうるからである。

そこで、日本では、日本固有の民族差別やブラックジョークの問題を考えることが重要になってくるだろう。

たとえば、今年4月に発生した熊本地震の折、ツイッターで「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などというデマが広まった。そのとき、興味深いやり取りがあった。

民族差別だと批判される一方で、あるツイッターのユーザーが「これは、関東大震災のときのデマを踏まえたブラックジョーク。今日び、朝鮮人が井戸に毒を入れるなんて誰も思わない。こんなネタを本気にするほうがおかしい」という主旨の反論を行ったのである。

なるほど、社会が十分に啓蒙されていればそういえたかもしれない。だが、現在の日本は、レイシストの集団が、在日コリアンに対する誹謗中傷を唱えながら街路を徘徊する程度には劣化している。その状況下では、さきのツイートはブラックジョークではなく、単に有害な情報と捉えられるほかなかった。

ブラックジョークも、社会の相関物である。日本には、こうした不謹慎な「ネタ」で遊ぶという文化があるし、それはそれでただちに悪いと決め付けることはできない。ただ、現代社会に対する問題意識を失うと、ブラックジョークはときに、マイノリティに対する単なるむき出しの暴力になってしまう。このことは常に心にとどめておかなければならない。

このように、日本においても民族差別やブラックジョークは、アクチュアルな問題として存在する。『帰ってきたヒトラー』で描かれているテーマは、必ずしも遠い国の話ではないのだ。

ヒトラーの一挙手一投足をネタにするのも結構だが、身近な問題を念頭におくことで、本作の核心もよりしっかりと掴めるに違いない。もちろん、ポピュリズムの世界的な台頭や、社会の「右傾化」などと関連づけるのも悪くないだろう。