土橋によると、1年の頃から和田の野球にかける姿勢には並々ならぬものがあったという。
「1年の時、僕は上級生のマッサージやケアをやらないといけないわけです。終わると夜の11時くらいになる。
和田は、それまでずっと僕を待っているんです。で、終わった頃を見計らって〝ちょっといい?〟と僕を呼び、〝これだけフォームができるようになったんだけど〟と言って、僕の前で実演する。
自分を向上させるためには、どこまでもやる。何でもやるという熱意をその時に感じましたね。この比類なき向上心が今の彼をつくったんだと思います」
和田が大学時代につけていた背番号18は先輩の藤井秀悟(現・巨人打撃投手)から譲り受けたものだ。藤井が4年の時に和田が入部。「とにかく練習をよくやる子」というイメージが藤井にはある。
「和田の練習には誰もついていけなかったはず。ランニングひとつとっても〝そこまでやらなくてもいい〟というくらい走るんですから……」
ハードワークの甲斐あって大学4年の秋季リーグ戦では江川卓が持っていた東京六大学野球の奪三振記録を塗り替えた。
当時のドラフトは自由競争の時代である。和田の進路に注目が集まったが、自由獲得枠で福岡ダイエーへ。1年目、14勝(5敗)をあげ、新人王に輝いた。
また、阪神との日本シリーズでは、雌雄を決する7戦目に先発し、完投で胴上げ投手となった。
'06年に中日からソフトバンクに移籍してきたキャッチャーの田上秀則によると「和田のストレートは、スピードガンの表示より5kmは速く感じられた」という。
「実際のスピードと体感スピードの違うピッチャーです。実際は140kmなのに、受けている側は145km以上に感じるんです。
だから打席でバッターは〝狙っている真っすぐがきてもとらえ切れない。ファウルになる〟と、よくこぼしていましたよ」