和田毅「実際より速く見える」のはなぜか?
~球界きっての“思考派”の源流を探る

二宮清純レポート
週刊現代 プロフィール

これほどの復活劇を、誰が予想し得ただろう。異国で左ヒジにメスを入れたのは4年前の5月のこと。その前年、すなわち'11年12月、和田はボルチモア・オリオールズと2年総額815万ドル(当時のレートで約6億3600万円)で契約した。

メジャーリーグは学生時代からの夢であり、海を渡ることに迷いはなかった。

'10年に17勝(8敗)、'11年に16勝(5敗)をあげた和田は、当時としては日本球界が誇る最高のサウスポーだった。

振り返って和田は語る。

「投球術とでも言うんでしょうか。〝こうなれば、こうなる〟ということが何となくわかってきた頃でした。フォーム的にも自分の感覚が掴めた気がしていました」

入団前のメディカルチェックも一発でパスした。左ヒジの後ろの方にハリを感じることはあったが、それがピッチングに支障をきたすことはなかった。

ところが、である。米・サラソタでのキャンプ中、左ヒジに違和感を覚え、DL(故障者リスト)で開幕を迎えた。

マイナーで学んだ反骨

その後、左ヒジ靭帯の部分断裂が確認され、'07年11月以来、2度目の手術を受けた。メスを入れるとヒジの中から1cmくらいの骨片が出てきた。それはメディカルチェックの際、画像に写らなかったものだった。

「いわゆるトミー・ジョン手術です。驚いたのは左腕から長掌筋(腕の内側の筋肉)の腱を移植したこと。左ピッチャーの場合、普通は右からと考えますよね。でも、近年は同じ腕から移植するらしいんです。今、ワシントン・ナショナルズでプレーしているスティーブン・ストラスバーグも、そうだと聞きました」

よりによって海を渡った年に手術なのだから和田もツキがない。結局、オリオールズでの2年間、1度もメジャーリーグのマウンドに上がることができなかった。

「でも僕にとって長かったマイナー暮らしは、野球人生にとっても、自分の人生にとってもよかったと思っています。いろいろな経験ができましたから……」

野球をする上で決して恵まれているとは言えない環境で、和田は何を学び、何を得たのか。

「たとえば移動。メジャーは全部、チャーター機ですし、空港に着けば警察が先導して連れて行ってくれる。ところが、マイナーではバスでの13時間移動なんてザラ。朝も3時起きということが、しばしばありました。

メジャーで活躍している選手たちのほとんどが、こういう生活を経験している。だからこそ〝マイナーには絶対に落ちたくない〟という意識が強い。生き残ってきた選手たちばかりだから、まわりから尊敬されるんです」