新井浩文、ピエール瀧、吉田鋼太郎…いま気になる名脇役の涙の「下積み時代」

テレビを面白くする「いぶし銀」
週刊現代 プロフィール

やがて先頃故人となった蜷川幸雄氏に抜擢され、演劇界では知られる存在になった吉田だが、テレビにはなかなか縁がなかった。その苦い思い出を本人はインタビューでこう語っている。

「ドラマに出たこともあったんですが、脇役のため『おい、そこのお前』みたいな扱いをされ、しかもオンエアーでは後頭部しか映っていない。そうすると非常に自尊心が傷つくわけです。だったらもういいや、と」

シェイクスピア・シアター主宰で演出家の出口典雄氏が語る。

「研究生の頃から吉田の才能はずば抜けていた。シェイクスピアは、とにかくセリフが多いのでスピード感を保ちつつ明晰にしゃべることを求められますが、彼はすでにそれができていた。

ただ、生の舞台とテレビの撮影は違います。舞台の演技をそのまましてもテレビではハマらない。演技力だけでは足りない。運とか巡り合わせもありますからね」

『あさが来た』の番頭・亀助役が印象的だった三宅弘城(48歳)。彼が俳優を志したのは大学時代のこと。インディーズバンド「有頂天」のボーカリストであったケラ(現・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)に憧れ、彼が主宰する「劇団健康」のオーディションに応募し合格。その後、「劇団ナイロン100℃」の旗揚げメンバーとなる。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏が当時を語る。

「三宅は元々俳優には興味がなく、本当はパンクロックがやりたかったみたいなんです。でも一度オーディション前にうちの芝居を見に来たんです。その時の三宅のアンケートが見つかったんですけど、そこに『みのすけ、すげー!』と書いてあった(みのすけは劇団の主要メンバー)」

 

母親に泣かれたことも

演劇経験がなかったので劇団に入ってからも数年は若手扱いで、セリフのない役も多かったが、高校時代、体操部だった経験を活かしアクションを使った演技を磨いた。

「元々運動神経が良かったので、バック転とか、芝居ができない分動いてもらいました。セリフがなくとも動きで笑いを取る。その辺はテレビでの演技でも受け継がれていると思います。

彼は、非常に動物的な人間なんですよね。落ちているものがあると、拾って嗅いでみるとか(笑)。それが一番活かされたのが『一人コント』でした。舞台上で一人でシュールなコントをやって、人を笑わせる芝居を磨いていました。修行のため、時には吉本の劇場に一人で出演していたこともあります」(ケラリーノ氏)

当時の三宅は、酒屋を営む友人の家の二階に居候しつつ、酒屋を手伝って食いつないでいたという。生活は楽ではなかったが、それ以上に演じることの楽しさに惹かれていった。