新井浩文、ピエール瀧、吉田鋼太郎…いま気になる名脇役の涙の「下積み時代」

テレビを面白くする「いぶし銀」
週刊現代 プロフィール

当時のピエールは「セリフはしゃべりたくない」とこだわりを持っていたため、ドラマや映画では、ワンシーンでの出演が多かったという。

「だからNHKのドラマ『64』('15年)や映画『凶悪』('13年)を見た時、こんな長ゼリフが言えるようになったのかと驚きました。いつもふざけて本当のことを語らないけど、人知れず努力していたのかもしれません。ただ、最近はCMで優しそうに笑っているのは、昔を知っている僕からすれば逆に恐いですけどね(笑)」(鈴木氏)

ピエールの父は今の息子の活躍をどう見ているのか。「もう息子もいい大人ですから」と恐縮しつつも、彼の素顔を明かしてくれた。

「親としては嬉しいけど、その一方で『電気グルーヴ』から横滑りで入っただけで、俳優なんて呼ばれるのは申し訳ない。本人も『人が言う分にはいいけど、自分で言うべきじゃない』と思っているみたいです。

ただ、こうして俳優としての仕事がもらえるのは本当にありがたいこと。本人は『職業不確定』なんて言っていますが、無職にならないように頑張ってほしいですね」

 

20歳で学生結婚

舞台で実力を磨き50歳を超えてから、テレビに引っ張りだこになった遅咲きの俳優もいる。『半沢直樹』('13年)や朝ドラ『花子とアン』('14年)の伝助役で大ブレイクした吉田鋼太郎(57歳)だ。現在は『ゆとりですがなにか』でダメなバブルオヤジを怪演している。

吉田は高校生の時、劇団雲のシェイクスピア喜劇『十二夜』を見て役者を志し、上智大学文学部に入学。シェイクスピア研究会に所属する。

8歳年上のOGに一目惚れして二十歳で学生結婚すると、稼ぎのあった彼女に食わせてもらいながら芝居を続けた。

見かねた顧問から「劇団四季なら給料が出るぞ」と言われ、大学を中退し、劇団四季に入団するもミュージカルをやる気にはなれず、半年で退団してしまう。その後は、劇団シェイクスピア・シアターなどに所属し、芝居を学んだ。

吉田と同じ劇団に所属し、現在は穂の国とよはし芸術劇場でシニアプロデューサーを務める中島晴美氏が語る。

「演劇一本で食べられるようになったのは、30代の前半くらいだと思います。それまでは主役を張ってもなかなかおカネはもらえなかった。舞台役者は皆そうですが、彼もアルバイトをしていましたね。時間的な融通が利くということで、ホテルのイベントの案内板作りなんかをやっていた。

ただおカネはなくとも当時から飲むことが好きで、よく劇団仲間だった勝村政信さんらと酒場に繰り出していました。おカネがなくて支払いができず、仕方なく店で飲み続けていたなんてこともあった(笑)。おカネを持ってきてもらうために、店から皆に電話しまくるんですよ」