島地 おい、日野! 今回のゲストは、若かりし頃の出版界の同志であり、後に直木賞を受賞した西木正明先生だ。編集稼業とはなんぞやという、ありがたい話を聞かせてもらえるはずだから、心しておくように。
日野 島地さんが「週刊プレイボーイ」で西木さんは「平凡パンチ」。同士というよりもライバルで、新聞社の拡販競争のように、当時は対抗心を燃やしていたんじゃないですか?
島地 確かに雑誌としてはガチガチのライバルだったけど、「向こうはがんばってる。こっちも負けてられない」という、健全な競争関係でしたよね、西木さん。
西木 どうでもいいけど「西木さん」とかやめようよ。いつもみたいに「マサアキ」でいいし、こっちも「シマジ」でいかせてもらいますから。
島地 そうしますか。じゃあ、マサアキは早稲田の探険部でいろいろやってた頃から編集者志望だったの?
西木 正直なところ、学生の頃は将来のことなんて、これっぽっちも考えてなかった。そもそも7年も在籍して最後は中退だから、偉そうなことはいえません。
島地 アラスカで越冬したのも探険部時代ですよね。
西木 早稲田大学探険部の第一次アラスカ隊で、僕が隊長でした。越冬したのは、ベーリング海を隔てて西にシベリアを望む小さな村でね。
日野 そのときの経験が『氷海の幻日』という小説の下敷きになったんですね。あれは素晴らしい作品でした。
島地 なんだ、マサアキのファンだったのか、日野は。
日野 いや、あの、実は僕も早稲田の探険部出身でして、西木さんは大先輩なんです。