四季を彩る折々のたのしみ、日々の生活を豊かにする智恵。日本人が大切に守ってきた生き方がここにある。曾祖父・幸田露伴、祖母・幸田文、母・青木玉、そして筆者へと、幸田家4代にわたって脈々と受け継がれてきた幸田家のくらしへの向き合い方とこだわり。
文/青木奈緒(作家)
実家の前に黒い学生服を着た小柄な男の子がひとり、背中を丸めてしゃがみこんでいた。どうしたのだろうと、玄関の鍵をあけながらそれとなくふり返ると、彼は猫をなでている。
「かわいいですね。人なつこくて」
実家で世話をしている三毛猫は、なでてくれる人があれば大喜びで、歩道のまん中でも平気で寝ころんでお腹を見せる。こちらを見あげる男子学生の首もとに光っているのは、ローマ数字のIをかたどった金色のバッジ。この春に入学したばかりの中学一年生だ。色白な顔に銀の眼鏡をかけている。
「猫が好きなんですけど、うちのマンションでは飼えないんです」
うつむいて猫をなでているところは、青年というよりは少年、実際はまだまだおとなしい男の子といった印象である。見るともなしにその様子を眺めていて、ふと自分の過去がよみがえった。
小学生のころ、母に叱られて泣いていた。理由はとうに忘れてしまったが、非は自分にあって、なんだか無性に悲しかった。いつまでも泣きやまない私に、母はそのとき飼っていた白猫を抱えてきて渡してくれた。
「猫はね、どこをとっても丸くてやわらかいのよ。尖っていると思っている耳の先も、細かな毛がいっぱいはえてて、丸い。猫の丸みとあったかさが、悲しいこともなぐさめてくれるからね」
もともと猫は好きだったが、このとき以来、何か気の晴れないことがあったとき、私は猫の温かく丸い背中にどれほどなぐさめられてきただろう。
少年はひとしきり猫をなでて、「どうも」とかすかに会釈して帰って行った。制服の背中がぶかぶかにゆるい。若さというものはこんなにもアンバランスな弱さを抱えているものだろうかという気がして、後姿を見送った。
たったそれだけのことなのに、少年の姿はその日ずっと私の頭の片隅にちらついていた。子どものころはわからなかったことも、年数が経てば多少見えてくることもある。自分の子ども時代が、何やらしきりと思い起こされた。