溶け始めた人間と機械の「境界」 テクノロジーの最前線はとんでもないことになっていた!

AI、ロボット、3Dプリンタ…
海猫沢 めろん プロフィール

たとえばAI(人工知能)、ロボット、3Dプリンタ、データマイニング、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)、センサーテクノロジーなどなど……現在進化しているテクノロジーには「人間」や「知性」の意味を変えてしまう可能性があります。

かつてのテクノロジーは、人間が一方的に使うものだった。けれど、これからは人間がテクノロジーに使われることも問題になってくるでしょう。

そんななかでぼくは、ふと、

「今、この世界では、人間(生物)が機械化し、機械が人間(生物)化しているのではないか?」

そう思いました。

これは古くて新しい問題です。

ぬりかえられる人間の定義

現代科学の基礎となる近代科学の精神をさかのぼると、17世紀にたどり着きます。
ガリレオ、デカルト、ニュートンらが確立した科学的視点は、それまでの古典的自然とは違い「機械論的自然観」に立脚したものでした。

中世では自然のなかに神の意志やなんらかの目的があると考えられていたのですが、人はやがて世界に「法則」を見出します。そして、すべては機械のように「法則」で動くと考えるようになり、そうした思想が近代科学の原点となりました。

しかし17世紀の人々は、人間を凌駕しかねない人工知能やロボットの登場まではさすがに予想できませんでした。その証拠に、デカルトは『方法序説』のなかで、人間そっくりの機械と人間とを見分ける確実な方法が2つあると書いています。

〝その第一は、これらの機械が、われわれが自分の思考を他人に表明するためにするように、ことばを使うことも、ほかの記号を組み合わせて使うことも、けっしてできないだろうということだ。〟

〝第二は、このような機械が多くのことをわれわれのだれとも同じように、あるいはおそらくだれよりもうまくやるとしても、あるほかの点でどうしてもなしえないことがあり、それによって、機械は認識することによって動くのではなく、ただその諸器官の配置によって動くだけであるのが分かることである。〟

ここでデカルトは、ロボットには、言葉を自由に使い、自分の意思を持つことはできない、そう主張しています。裏を返せば、人間だけが言葉を自由に使い、自分の意思で生きることができる──そういうことです。

しかしぼくはこの定義が今ひとつ腑に落ちないのです。この2つの定義は確かに、一見もっともであるように思えますが、本当にそうなのでしょうか?

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