知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史~芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった!

戦争・麻薬・カネ
辻田 真佐憲 プロフィール

戦争のために配布された覚醒剤

一方、1940年代に入ると、日本本土でも薬物の害が蔓延しはじめた。日本で主に使われたのは覚醒剤である。

覚醒剤の成分は、メタンフェタミンもしくはアンフェタミンである。このうち、メタンフェタミンは、日本の薬学者・長井長義によって19世紀末にエフェドリンより抽出された。

ただし、その中枢神経興奮作用は1930年代に入ってドイツで発見され、「ペルビチン」の名前で商品化された。ちょうどナチス・ドイツの時代だ。

 

なお、アンフェタミンも同じころに製品化され、英米では「ベンゼドリン」、ドイツでは「エラストン」などの名前で商品化された。これらの商品は、眠気を覚まし、疲れを吹き飛ばす特効薬として、大いにもてはやされた。その危険性はいまだ認識されていなかったのである。

ちなみに、ヒトラーは、1930年代後半より主治医となったモレルよりアンフェタミンを投与され、健康を害したといわれている。

このような欧米の動きを受けて、日本でも1940年代にメタンフェタミンやアンフェタミンが次々に商品化された。メタンフェタミンでは、大日本製薬の「ヒロポン」、参天堂製薬の「ホスピタン」、小野薬品工業の「ネオパンプロン」、富山化学工業の「ネオアゴチン」。アンフェタミンでは、武田薬品工業の「ゼドリン」、富山化学工業の「アゴチン」などがあげられる。1940年代に覚醒剤を製造した会社は23社にのぼったという(佐藤哲彦ほか『麻薬とは何か』)。

この時期に覚醒剤が量産されたのも、戦争と無縁ではなかった。日本はこのころ日中戦争の泥沼にはまり、太平洋戦争の開戦も控えていた。労働力や戦力の拡大のため、覚醒剤は「魔法の薬」と考えられたのである。「ヒロポン」開発に関わった医学者の三浦謹之助は、当時、覚醒剤の開発について「最も目下の時局に適合するもの」とあからさまに述べている。

副作用の認識がなかったこともあり、覚醒剤は軍需品として大量生産された。特に、激務の航空部隊に配布されたようで、冒頭に名前をあげた参院議員の下村泰(陸軍の飛行戦隊に所属)も、戦時下に使用したと証言している。なお、覚醒剤はアンプルのほか錠剤でも配布されたという。

このような覚醒剤は、1945年8月の敗戦により不要となり、市中に流出してしまった。その結果、冒頭で引いたようにひとびとが「ヒロポン中毒」になったのである。昼夜を問わず多忙な芸能人の間には、特に蔓延したといわれる。

覚醒剤の有害性は戦後になって広く認識されるに至り、1951年ようやく法律で規制された。